幼いころ近所に住んでいた伯母の家に、よく出入りした。今でもよく覚えているのは、囲炉裏の中で、天井から吊るした自在かぎに掛けてあった鉄瓶である。いつも湯気があがっていた。映画のシーンのように、幼少の頃の記憶が鮮明に残っている。伯母の家は、村でも一番大きな家で、部屋数が20もあったろう。近頃では、あまり見かけなくなった大きな囲炉裏が、玄関から入った上りかまちのすぐ近くにあった。いつもお湯が音を立てて沸いていた。その傍に、大きな枇杷色をした茶碗があった。五郎八と呼ばれる茶碗である。話は、そのお茶と茶碗についてである。

 鉄瓶には、黒茶と呼ばれる発酵茶が、木綿かさらしの袋に入れて、煎じられていたのだと後で知った。囲炉裏の周りは、席が決まっていて、伯母の定席は、台所に近い位置にあった。その定席の角にお盆に入った五郎八茶碗と茶筅が数本あった。遊びに行くと伯母は、鉄瓶から少しお茶を茶碗に注ぐ。竹製の茶筅二本を用いて、茶碗の前後を往来させ、縁にぶつかってバタバタと音をさせる。初め大きな泡だったものが、次第に小さな細かな泡になり、白くこんもりと盛り上がる。

 「飲まっしゃれ、茶碗をしっかり持って、落とさんがよ」と言って、

茶碗ごと渡してくれた。僕を実家の跡取りとして遇してくれたのだ。ふんわりとしたまろやかな味がした。すこしばかり、ほんのりと塩味がしたかもしれない。そのお茶といっしょに、たくわんなどの漬物と梅干し、黒豆がでることもあった。伯母の最大のもてなしであった。

 遊びに行くとたいていこのお茶を振舞ってくれたが、お茶よりも自分でバタバタとお茶を立てたかった。お茶碗は子供の手に、あまる大きさだった。慶事や仏事があると茶をわかし隣近所の人が集まって、お茶会が開かれる。普段の日でも、伯母は、近所のお友達を数人招いて、井戸端会議ならぬ囲炉裏端の会話を楽しんでいた。

 後年、このお茶の歴史を調べてみると、黒茶はバタバタ茶と呼ばれ、室町時代に、浄土真宗の僧「蓮如上人」が越中布教のおりに用いたとされる。黒茶は、この地方ですでに飲まれていた。僕は、茶道など縁がない。だから、茶器も行儀作法も知らない。でも、もう一度伯母の振舞ってくれたバタバタ茶を飲んでみたいと思う。

   バタバタと 熱い熱いで 飲んだのは あれが昔の 苦労茶(黒茶)か

2011.9.10