新内閣は<ドジョウ内閣>だそうである。詩人・相田みつをの「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」あたりを引用して「泥くさく政治を前進させる」と宣言するなどなかなかである。今日は、政治の話でなく、泥鰌の料理の話である。少年の頃、よく友達とヨシ、ガマ、マコモが密集して茂る川底などをタモ網で泥や水草ごとすくい取った、するとかならずドジョウがはいっていたものである。ただ海が近くて、魚が豊富だったから、ドジョウなど食べるということがなかった。


 大学に進んだ時、東京にいる従兄弟が、浅草に遊びに連れ出してくれ、帰りに<駒形どぜう>に案内してくれた。店に入ると下足番が立っていて、靴を渡して番号札をくれる。今は、どうか知らないが、椅子席でなく、座布団を敷いて低い板テーブルを挟んで座る。田舎の囲炉裏端に似ていた。昔ながらの雰囲気の店だった。


柳川鍋とドジョウ汁を頼んだ覚えがある。従兄弟は、ドジョウの形が、はっきりと分かるドジョウ鍋を食べた。僕は、少し勇気が要った。後年学んだのだが、柳川とドジョウ鍋に区別がある。柳川鍋は、ドジョウと笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵で綴じたものだそうで、卵やゴボウを入れるかどうかで、ドジョウ鍋と区別するのだと。

ドジョウ汁は旨かった。ドジョウ汁のあのどろっとした味に、田舎の野趣がある。あのとろり感は、ドジョウの粘り成分だとばかり思っていたが、あの汁の中には、サトイモのねばりが一枚加わっていた。油揚げとさきかけしたごぼうが、うまみを倍加させ、それと調味料の味噌と酒の調合の塩梅が味の決め手になっていた。


ドジョウだけでは、勝負にならない。日本の泥くさい、豆とか芋が脇を固めている。酒は、米でできているし、日本の土壌が生み出す、牛蒡もわき役として大事だ。ドジョウも「泥鰌」では、ちょっと取っつきにくい漢字だし、「どぜう」のほうが、ぴったりくると思う。泥臭さが勝負だろうか、今の内閣のことではないのだが・・・ 2011.9.6