少年のころ、住んでいる所は村里だから、ラジオもなければ、電話もない。都会の文化からほど遠いところにいた。文化の香りは、ときたま従兄弟から届く葉書や手紙だった。その返事を、拙い字で書き送る。するとその返事が、また来る。今日か明日かと郵便屋さんの運んでくるのが待ち遠しかった。そこには、とてつもない時間と距離と空間があったように思う。あの時代は、ゆっくり時間が流れていた。
この春、東京で電車に乗り込んだ時の光景である。日中に若者の10人のうち8人が、携帯を手になにやら操作している。みんながメールのやり取りでもないだろうが、忙しない時間を過ごしている。目を閉じて、物思いにふけっている人はいなかった。メールといえば、年配の少し老眼が要る人までも、携帯電話の操作盤を指で器用にいじり回し、あっという間に発信する。私の義姉は70歳だが、パソコンとなると恐れをなしてか、触りもしない。彼女は、ワープロが出現した時、すっかり気に入って使いこんでいたものだが。
「こんなものが、もっとはやく世の中に、出ていれば、私の青春時代は、もっと彩りが豊かだったと思うわ。詩集だって、簡単に作れるじゃない」と。
なにかの拍子に、ワープロの調子が悪い時などは、
「今日は、ワープロさんご機嫌が悪いのね。きっとすぐ好くなるわ」と言って擬人扱いする人だった。
ある程度原理が分かると取っつきが早い。最近のパソコンなど高度に複雑で、彼女の理解の範囲をはるかに超えている。夢見る少女時代を送り、文学少女だった彼女も、周囲に手ほどきをする人がいれば、パソコンや、インターネットの世界にも難なく入れ、楽しめたものにと思う。そんな時、僕は彼女にパソコンを使うよう手紙を書いた。
『・・・パソコンを駆使すれば、写真の編集、手紙の整理、家計簿、ゲーム、百科事典、翻訳、音楽、動画ニュース、料理レシピの検索、日常生活のオンラインショッピング、書籍の購入、症状からの病気診断、コミュニティへの参加etcなど実に面白い世界が広がります。これらは、すべて、僕が活用しているものですが、他にもいろいろあると思います。こんなことをマスターするのに要するエネルギーは、車の免許をとるよりはるかに容易いです。ちょっと慣れなければならないのは、キーボードのタッチぐらいなものです。・・・』
2か月ほどして、彼女から軽いタッチの電子メールが届いた、
『・・・平吾さんから、手紙をいただいて、実はショックを受けました。私ひとり現代の文明から取り残されているのではと。・・・そんな時、娘の家に行ったら、まだ5つにもならない孫が、パソコンを動かして動画を観ているじゃありませんか。娘婿が私を評して、なぜの理由を考え過ぎだと言います。漫才で、<地下鉄の車両って何処から、入れるのかしらって。考えると眠れなくなるって・・>そこで、あまり深く考えずに、パソコンと向かい合おうと一大決心して、公民館のインターネット入門講座に通うことにしました・・今度、ツイッターやブログも教えてください。そうすれば、私、昭和の時代から、平成へとひと飛びで、「文明社会」に暮らすことが出来ると思います。都市を離れ、自然の中で暮らす平吾さんでさえ、文明の利器を活用しているのですから・・・』
僕は、静かな時間の流れに身をゆだねて、生きて行きたいと思っていたが。
パソコンの 画面に見ゆる 明るい灯 孫が導く 異次元世界
2011.9.4