ここ十日ばかり、家内は横浜に住む娘のところに行って留守である。二キロ離れたところに、独り住まいする義母がいるが、この夏一か月ほど東京から来て、息子の逸郎が滞在している。以前、このブログにも書いた、彼女は九十歳になるが、この年齢も今時、さほど年寄りには見えない。それでも、今年の冬は長かったせいか寝たきりになり、認知症も進んで重篤かと思われた。私たちがここに移り住み、こうして長男がやってきたり、孫らが遊びにきて刺激を受け、すっかり元気になった。その義母からの電話である。

「平吾さん、今日はちょっと言いづらいのだけど、少し頼みがあるがやっちゃ」と言う。

よく聞いてみると、この夏は暑い日が続き、その疲れが出たせいで、昼間は眠くてしかたがない。ところが、息子が家にいるものだから、緊張して三度の食事の準備で、気が重いと。少し、思いつめた感じである。

「逸郎に、たまには、ご飯を自分で用意するように、あんたから言って貰えんやろうか。あの子も、退屈なのか、毎日近所の図書館に通っているぜ」と。

 さっそく、横浜にいる妻に電話を入れて、どうしたものか意見を求めた。

「母は今まで気ままに暮らしてきたのに、私が帰ってきて、初めは嬉しかったが、慣れてくるにしたがい、煩わしくなってきたのよ。兄の場合も同じで、リズムが合わないのね。お互い我がままが、出たのよ。母は昔気質で、自分で食事を用意しなければと気持ちは急くけど、身体がいうことをきかないのね。」と。

義母は、都会に住む子供たちが、上京するようにという声に耳を貸さなかた。田舎で一人住まいをしていたが、この冬二か月も薬を飲み忘れ、すんでのところで一歩先は死かと周囲は心配したのだが・・・。

妻はこうも言った。

「兄さんも、母は耳が遠いので相手をするのが、わずらわしく面倒になったのね。私から、兄に電話しておくわ」と。

夕方になって、今度は逸郎から電話があった。

「妹から電話があったけど、母が何か言っていましたか。歳をとると頑固になってね。食事など僕が作ると言っているのに、近所のスーパーで買ってくる。冷蔵庫に昨日と一昨日、買った総菜がいっぱい残っているのに。耳が遠いし、物忘れがひどく、困ったものです。僕も、明後日には、妹と入れ替わりに、帰りますわ」と。


私は、妻が田舎に帰る前に、逸郎の労をねぎらう意味も込め、義母親子を夕食に招待することにした。久しぶりに我が家に現れた義母は、色艶がよく、元気がいい。

その義母の一声である、

「あの子は、どこかへ行ったのでしょうか。しばらく会っておらんからね」と言って、妻の姿を探そうとする。

すると逸郎が言う、

「『横浜に行って今はいないよ』って、いくら言っても、これだから。すぐ忘れてしまうんですよ」



秋の夜は 鳴いて騒ぐな 鈴虫よ 年老いた義母 娘を恋うる        2011.9.3