ここしばらくは、古女房は、都会に住む娘のところに出かけ、留守である。いつも隣にいるヤツが、いないと不都合と言うほどでもないが、なにかいつもと空気が違う気がするものだ。日中はまだ畑に出て草取りをするとか、町の図書館に出かけて、無聊を慰める手立てもある。しかし、夜のとばりが下りて、虫のすだく音も一段落すると、妙に侘しさと寂しさがどこからともなく頭をもちあげてくる。ひとりでは、どうすることもできなくて、独り焼酎をコップの氷に注いで、安逸をむさぼることになる。


 こういう時の酒の友は、家の居候のミーコである。この愛猫ミーコは、二代目で、たしか家内が、六年も前にご近所の猫好きに頼まれて、引き取った野良猫である。ペットというのは不思議なもので、その家の歴史とともにある。だから、ときどき不思議に思うことがる。たとえば、夏休みなど家族みんなで田舎に行って十日も家を開けた時、餌は誰がやったのか、誰が面倒を看てたのかとか、また娘がお産のために我が家に長逗留したときなど、ミーコのノミとりは誰がしたのかとか。僕には、その時の記憶がまったくない。猫好きの家内が、ご近所に助けを求めたか、ペットクリニックと相談したに違いない。僕は、ミーコに対して、無責任でご都合主義なのである。


 一杯目の焼酎が空になった時、ミーコを呼んだ。呼べどもミーコの返事がない。二階でネズミの番をしているのかと思って、覗けども二階には姿も気配もない。ソファーに座って、縁を二度三度ポンと叩くと案の定、ミーコは音もなくやってきた。こうしてやってくる場合は、決まって頭を撫で、痒そうな所に手でさすってやる。するとミーコは嬉しそうにする。今も僕の足に身を摺りつける。匂いをなすり付ける。しばらく、相手をしてやった。ミーコもここのところ、辛い毎日である。以前もこのブログに書いたが、家の縁の下をねぐらにしている野良猫の熊太郎、通称クマが、どう勘違いをしたのか、自分も飼い猫と思い、黙って家の中に入り込んでくる。入り込むだけでなく、ミーコにヤキモチを焼き、時には、ミーコに横恋慕して追っかける。疾うに、娘盛りを過ぎたミーコには煩わしいかぎりである。それに引き換え、クマは、男盛りである。


 僕の悪い癖は、酔いがまわるとやたらと友人知人に電話をすることだ。その夜もあちこちに電話をした。先方も心得たもので、適当に相槌を打ってくれる。ひとしきり電話が終わって、ミーコを見ると、奴さん、いつの間にか、ソファーを独り占めにして、目をつむっている。顔を天井に向け、半ば仰向けに寝て、お腹を横にして。右から見ると、ミーコは、哲人のような難しい顔をしている。世の苦渋を独りで背負っている風情だ。反対側からみると、安逸をむさぼっている太平楽そのものである。僕とて両面を持っているに違いない。ミーコも主人に似たのであろうか。そんなことを考えながら、もう一杯焼酎を注ぐことにした。


       日暮れて 主が心根 垣間見ん 「酒を友とす 孤老の人よ」

      愛描も たまにつき合う 独り酒 主人ひたすら 友と電話す

                                   2011.8.31