もう過ぎてみれば、40年も前のこと。アメリカは、ボストン郊外のコンコードという古い町のアパートにわずか3カ月あまりだが、住んだことがある。会社から派遣されての研修のためだった。若草物語の作者ルイザ・メイ・オルコットが暮らした家が、近くにあったから、日本でいえば、京都近郊ということになろうか。アメリカ独立戦争の火ぶたが切って落とされたところとしても名高い。ニューイングランド独特のたたずまいのする街だった。そのころ、街で日本人など滅多に見かけなかった。英語も喋ることが出来ず、貧乏だった僕は、日曜日など雑貨屋チェーンのウールワース(Woolworths)によく買い物に行ったものである。友人のジムに、安物のがらくた買い(a dime a dozen)とよくからかわれたことを思い出す。なんでも、10セントで1ダース買えるという意味だろうか。日本のおもちゃなど店頭に並んでいた。帰国に際して、ゴム風船や子供のバッグや洋服を山と買って、随分と喜ばれた。それから数年して、行った時は、日本製品は安物棚から姿を消していたが・・

 

 会社には、世界各地から仲間が集まってきていたが、アジアからは僕だけだった。今と違って、彼らは、日本人であるというだけで、僕に興味を示した。若い女の子に「Handsome Devil」などと言われて気を好くしていた。珍しさも手伝ってのことだろうが、大きな勘違いをしていたのかもしれない。女の子の中でも、お気に入りは、いつも控えめだけど目が大きなキャサリンだった。実にキュートな娘で、背の高い、豊満な若さのはち切れそうな、日本でいうおぼこであった。ひとつ不満があるとすれば、キャサリンは、黒ぶちの眼鏡をしていた。彼女は、極東の国、日本、とりわけ日本の文化に興味を持っていた。

 

 昼休みや退社時間に、彼女のところに行って、子供のころの女の子の遊びである<あやとり>、<折り紙>など披露した。彼女の好奇心に、ひとつひとつ拙い英語で説明するのに、ずいぶんと骨が折れた。折り紙に興味を持ち、何度もツルを折ってくれとせがまれた。もう一人の女の子も誘って、なけなしの小遣いをはたいて、日本食レストランに招いたことある。さすがに、刺身と寿司は、苦手だったが、キャサリンはてんぷらが旨いといった。あろうことか、『貞女は二夫に見えず』など日本の昔の旧い習慣を話題にした。キャサリンは興味を示した。

 

 日本に帰る数日を残して、キャサリンとふたりきりで、念願のデートをした。その日、彼女はいつもの黒ぶちの眼鏡をしてこなかった。淡いピンクのワンピースに身を包み、トヨタ車を駆ってやってきた。彼女の運転で、クインシー湾を望みながら夕方のドライブに出かけた。別れ際に、僕たちは、互いにハグをした。もしかしたら、”I will be missing you.”と彼女が言ったような気もする。彼女の車の後部座席に、『若草物語』 (Little Women written by Louisa May Alcott) と『菊と刀』 (The Chrysanthemum and the Sword by Ruth Benedict)がおいてあった。                2011.8.30