家庭菜園を始めても、妻はほとんど関心を示さなかった。外での仕事を極端に嫌った。肌が太陽の過剰照射で傷がつくというのである。中近東の女性のようにヘジャブでもかぶらない限り、射るような太陽の光から逃れようもない。菜園の作業は、自分一人でやるしかないと覚悟をきめて、妻の手助けなど期待しなかった。

七月も半ばにさしかかると、夏野菜が畑から面白いように採れ始めた。キュウリ、茄子、トマトなど、篭に盛りきれないくらいだ。収穫袋でも用意しなければ、持ち切れない。キュウリなどとれ過ぎて、幾度もキュウリのQちゃん漬けにしたくらいである。


やがて、妻の関心も菜園のさまざまな野菜に向きだした。二十日大根、ジャガイモ、オクラ、カボチャなどである。『光沢があって、若々しくて、美味しい』『美味くてみずみずしい』とか言い出すと、もうこちらも、先方の反応に合わせるのが大変である。「私も草を取る、水をやる」と自ら言い出した。僕の作る野菜は、無農薬である。最近は、宗旨替えをして、いくらか有機肥料を施しているが、初めは無肥料を旨としていた。


妻は、東京に住む孫の健康を心配している。孫は、食物アレルギーで、アトピー皮膚炎を患っている。この子にも自然食品をあたえれば、必ず苦しまなくなると信じて疑わない。もう、一、二度は、宅急便で送ってやっている。そのためには、雑草に栄養素を食わせるわけには、いかないと除草作業に懸命なのである。この作業の難儀なところは、蚊との闘いである。早朝や夕方など隠れていた蚊が顔を襲い餌食にされてしまう。そのために、肌を表に出さないように、ネットで顔を覆い、頭巾を被る。腕カバーで腕を隠して、畑に入る。小半時も作業をすれば、体中から汗が噴き出す。


僕は助かった。思わぬ協力者の出現である。ある日、ふと作業する妻の横顔を覗くと別人かと見間違うほどだった。半年前、彼女は都会のマンションの一室で終日、琴・三味線を奏でる優雅な生活をしていたのだ。それが、今や琴爪を軍手に、三味線撥を鎌に替え、自然を相手に悪戦苦闘する農婦である。



僕は先祖伝来の農地を、いくばくかの年貢と引き換えに小作に出している。妻は最近、菜園が狭いと言い始めた。もっと耕作地を広げようという。それには、家と隣接する農地をいくらか返してもらおうと言い出した。女の一念というのは恐ろしい。彼女は、僕の曖昧な言辞を、いいことにすぐ行動に出た。その日の午前中に、車を駆って街に菓子を買いに出かけたのである。

帰るや僕に小作をお願いしている農家に同道してくれと、言う。

「二人揃って、菓子折をもって、お願に行けば、先方も厭とは言わないわ。きっと、こちらの誠意を汲んでくれると思うわ。来年は、100坪の畑で、無農薬野菜をたっぷり作りましょうよ」と。    2011.8.25