仲のいい友人Uから夕刻に電話がかかってきた。いつもはもっと遅いのに、今は六時半である。もういくらかアルコールが入り、いささか酩酊気味である。

「平吾さんヨ。声が聞きたくてね。今、自宅のベランダから、網代港を見ながら、一杯やっているんだよ。」

Uは、十年前に病気で奥さんを亡くし、元気がなかったが、再び良縁を得て最近新しい伴侶と結ばれた。永年住み慣れた鎌倉の七里ガ浜を離れ、静岡県の網代に居を構えた。Uは、無類の海好きで、サラリーマンの現役の頃は、年中真黒に日焼けした顔をして、会社にやってきていた。週末になると、海の仲間とサーフィンに興じる。

「網代は、好いところだよ。一度来てよ。泊まってよ。飲もうよ。ここは、高台だから、海が見えるのサ。大したことはないが、眺望は一級よ。朝も、夕もここから、海を眺めるのサ。」

海好きの 土日サーファー 君なりき 今は遠き 鎌倉の海



僕が、故郷に居を移すと言った時、一番寂しそうにしたのは、彼だった。無類の寂しがり屋の彼も、新しい奥さんと再出発を機に、やはり海の近いところに住まいを移した。海から離れられないのだ。

「平吾さん、覚えているかな。もう二十年あまり前になるが、サンフランに展示会があって、行ったろ。ほら、セブンティーンマイルとか言ったね。イロハ坂みたいに、くねくね曲がった坂を下りてサ。あの町の名前さ。ほら、有名な俳優が市長やった。ほら、○○ウッドだよ。名前が出てこないのサ。」

クリント・イーストウッドが市長をやったのは、カーメル市である。僕の記憶も曖昧である。酒の入っている彼は、多分バーボンを片手に、電話をしているはずである。今のように、デジタルカメラが自在に使え、インターネットに記録できれば、文字と一緒に書きとめたものを。

バブル時の ウッズにウッド 忘れしも 身体憶ゆる ゴルフ波乗り



彼と電話しながら、ネットでイーストウッド、市長と検索すると、ツアーガイドが出てくる。写真あり動画ありで、当時の記憶が蘇った。モントレー半島は、サンフランシスコ大都市圏に近い高級ビーチリゾート地。別荘、豪邸、ゴルフ場が目についた。バブルの時代、俄か金持ちの日本人が、名門のゴルフ場を買い漁り、アメリカ人の顰蹙を買った。僕らは、日本で乗ったことのないリンカーンを駆って、17マイルドライブからカーメル・ミッションに繰り出した。岩山に樹木や枯れ木が立っており、日本の海岸の名所と似た景観である。Uは、このカーメルが忘れられないらしい。その景観に似た網代の高台に家を求め、終の棲家としたという。

思ひ出は いつも引き出す 胸の中 終の棲家を 網代の山に



「あのサ、カーメルのレストランで、食べたクラムチャウダーを覚えているかい。美味かったなア。二枚貝独特の風味に、クリーミィな味が忘れられないよ。あれはボストン流だったね。マンハッタン流はさ、牛乳の代わりにコンソメと水を入れて煮るんだぜ、トマトピューレと刻んだトマトを加えてサ・・」

妻の夕食の準備が出来たという合図で、彼との電話を終わりにした。明日の夜は、久しぶりに、ボストンのクラムチャウダーに挑んでみようと思う。

アメリカの おめレシピ 美味なるは 貝にミルクの クラムチャウダー


                                  2011.8.22