その日は、8月14日お盆の中日で、ここらでは近隣に嫁に行っている女性が、夫君を伴って里帰りする習わしがある。どこの家も賑わっている。盆明けに昔の仲間が集まるという会に参加の応諾の返事を持って、中学の同級生のM君宅に寄ってみようと思い立った。家を訪問するのは、半世紀ぶりである。昔は、村はずれの海岸から山側に離れて、一軒ぽつんと孤立して建っていたが、浸食で村の家々が、海岸から離れようとしたせいか、今や彼の家が集落の中心となっている。

 

玄関先のベルを押すと奥から、聞き覚えのある優しくも、懐かしい声がした。

「あら、平吾さんじゃないがア。ずいぶんとお久しぶりやね」と。

僕は、息を呑んだ。咄嗟に母君だと思った。時計の針が、数十年も逆回りした感じがした。M君の父は、僕も教わった中学の社会科の先生であった。先年亡くなったと聞いていた。村で教師と言えば、インテリ階級である。母君は、隣村から嫁してきていて、背のすらっとした美しい人だった。真っ黒に日焼けした農婦の母に比べれば、別の人種に見えた。授業参観のときなど、口にこそ出さなかったが、クラスの仲間はみんな、M君を羨望の眼差しで見ていた。

 

中学の二年生の時、村の駐在所のA君とお昼をご馳走になったことがある。二人とも、自宅の母親の了解をとりに戻って、昼食の親子丼をいただいた。鶏肉と玉ねぎなどの具をダシと醤油で甘く煮立て、卵でとじてあった。いつも家で食べる玉ねぎの味とは違っていた。こんな美味しい丼を食べるのは、生まれて初めてであった。そのうえ、おかわりも許されたのだ。

 

「お兄さん、平吾さんよ」と、奥に向かって発した声を聞いて、初めて眼前の婦人が、母君でなく妹さんだと分かった。お母さんと瓜ふたつというのは、このことをいうのだろうか。僕は、迂闊だった。彼女も還暦を疾うに越えている。

「お母さんは、お達者ですか」という僕の問いに、M君が応えた。

「いや、もう九十歳で、今床に伏せっておらすよ。今日は、久しぶりに妹も来たので、卆寿の祝いをするがやっちゃ」と。

 

彼からの同級会の案内に、僕も、ぜひ参加したい旨を伝えて、M君の家を辞した。庭には、盆花の萩、桔梗、山百合、撫子が植わっていた。花々が、若かりし頃の優しくも情愛のある母君を思い起こさせた。

 

参観日 誰が美人か 見比べる イベントあるを 母知らざりし

盆の日 半世紀経て 思ひだす 親子どんぶり 旨かりしこと

母娘とも 盆花に似て 凛として 情愛深く 慈しみあり

   2011.8.17