家の近くに里芋畑がある。5月に植えられ7月の終わりには、たっぷり水がはられていた。水も欲しがれば、太陽も好む。今は夏の真っ盛りだというのに、この里芋は大きな葉っぱを広げて、太陽の暑さをしのいでいる。それでいて、大雨が降るときは、余分な雨は弾いてしまう。雨の少ないときは、無駄なく吸収する用意があるというわけだ。日光の少ない曇りの日は、葉をいっぱい広げて光を集める。これらすべて、大きい傘で太陽を取り込み、水を養分に変え、美味しい芋を作らんがためなのである。

 

 芋は庶民的で、その種類がいろいろと豊富である。身近なところでは、ジャガイモ、さつまいも、山芋、それに正月のおせちに欠かせない八頭、こんにゃく芋などというのもある。日本には、縄文時代に伝わったとされ、山地に自生しているから山イモ、里で作られることから里イモと分かりやすい。ジャガイモは芋を植えて育つのに、3,4カ月かかるが、里芋は半年は要る。しかも、ジャガイモは、春、秋と2度も作れるが、里芋は、そうはいかない。

 

こうしてわれわれの身近の芋のたぐいは、一個の種イモからたくさんの小芋が採れることから子沢山で子孫繁栄の縁起物とされている。確かに、里芋など掘ってみると親イモに寄りそうように、子イモ、孫イモとたくさんのイモができている。可愛いものである。世の中には、親は子が多いがゆえに泣かされるというが、里芋の場合は、子芋がついていなければ、今までの苦労が泡となり泣きをみることになる。

 

ついでに里芋料理をみておかねばなるまい。煮っころがし、イモ鍋、おでんの具、牛バラ肉の煮物、クリーム煮などの主役は、やはり里芋である。また、豚汁、けんちん汁なども、わき役の里芋がなくては、あのどろっとした味が出なく価値が半減するから、そこに妙がある。それに里芋は、芋ばかりでなく、葉柄のずいきなども重宝で、昔からかんぴょうのように、油揚げを加えて、煮込んでよく好んで食した忘れられない味である。

 

芋をかざした言葉に芋兄さん、芋姉さんという言い回しがある。ドン臭くて、垢ぬけない、田舎くさくて、ダサいという意味である。この対極にあるのは、スマート、ハイセンスで都会的ということだろうか。人間に両極の部類があるとすれば、僕は田舎者で前者に違いないが、情のある温かい方に属していたい。


  里芋や 大きな葉っぱ 陽にかざし 味をためるか 芋・ずいきまで
  子がなくて 泣くは芋ほり さもあらば 子に恵まれど 泣かぬ親なし 
  芋兄は 情け感じて 今日も生く 芋汁吸って 世知辛き世を

 

     2011.8.19