少年の頃の夏休みの楽しみのひとつに、大きな西瓜を口の中いっぱいに頬張るというぜいたくがあった。この醍醐味は、百姓家にだけ許されたものだった。我が家では、出荷用に黒部西瓜を作っていた。大きいものは、前のブログ<西瓜からの郷愁>で述べたように、巨大な枕の形をしていて、重さは40キロあまりはあった。今では、核家族化が進み、冷蔵庫に入りきらないから、この西瓜も贈答用を除いて、姿を消しつつある。



 今回のテーマは、その西瓜ではない。その主役の陰に隠れ、存在の目立たないマクワ瓜についてである。甘瓜といった。昔は、どこの農家でも作って広く普及していた。今のメロンの親戚である。甘さを抑えた淡い素朴な味がした。 韓国では、今もブドウやスイカと並ぶ夏場のポピュラーな果物の一つだそうな。もっとも果物というと木になるもので、つる、茎などになるものが野菜だそうだから、正確には、野菜か。



 父は朝早く、涼しいうちにと牛に食わせる草を刈りに畑に出かける。土手などに繁茂する草を刈るのだ。その帰りに、畑に立ち寄って西瓜とこの黄色い甘瓜をどっさり持って帰った。これを井戸で冷やし、一人っ子の特権で、独り占めして食べることが、無上の喜びだった。何もない時代だったから、東京の大学に行っていた従兄弟なども、帰省すると決まって、我が家にやってきた。お目当ては、このマクワ瓜だった。彼は、このマクワ瓜を木製のピーラーで皮を剥いたあと、井戸水で洗ってフォークで口へ運ぶ。しかし、これを洗っては、いけない。マクワ瓜の甘い汁が流れ出てしまう。まして、フォークで刺すとはなにごとか。一番旨い食べ方は、皮を剥いたあと、指で種だけを弾き飛ばし、汁が逃げないように、わたごと頬張るのがいちばんだ。ボクがこのやり方を勧めても、従兄弟はかたくなに自分流のやり方にこだわった。セレブの都会流を貫きたかったのかもしれない。



 西瓜が父の守備範囲なら、このわき役の甘瓜は、父も侵せない母の領域だった。田植えが終わる頃、苗を西瓜畑の端の方の畝に植える。甘瓜のほか種類の縞模様のマクワ瓜も植えた。甘瓜たちは、敷き詰められた藁の上に、競って葉を広げる。開花して40日前後で収穫できる。甘瓜をどうしてもマクワ瓜というなら、枕に形が似てまくら瓜という呼び名が方が似合う。



今では、昔懐かしい甘瓜に滅多にお目にかからない。夕張メロン、ハニーデューメロンなどの高級メロンに押されたのだろう。この夏は、せっかく田舎に移り住んだのだから、あの甘瓜をボクの菜園で復活させ、昔の味を思い出したい。甘すぎない。しゃれたほどほどの上品な味だ。決して、西洋メロンに負けない、日本の昔のさわやかな味だ。そうだ、お初は、仏壇の父母にお供えしなければと思う。



マクワ瓜 形に似せて 枕瓜

                  2011.7.12