O先生は、80歳を過ぎてからが女丈夫で、なおかくしゃくとして、容貌衰えず今でも、車を運転して遠出もするという。先生は、民生委員として、村人のために尽くした。数年前、100歳で亡くなった私の母もずいぶんと世話になった。


ある日の夕方、一人住まいの私の母を訪ねたが、まったく音がしない。母96歳の時である。玄関で声をかけても返事がない。人のいる気配を敏感に感じ取った先生は、風呂をのぞくと、果たして、湯船で居眠りしている母を発見したという。すんでのところで、湯船に溺れそうな母を助けたわけだ。


なかなか美人の誉れが高かったO先生は、小学校の担任の先生で、新婚間もなかった。人間というのは、生まれおちて、物心つき始めてすぐに、人の美醜の判断ができるものらしい。保育園に通い始めて、すぐに保母さんが、きれいな先生かどうか、気になった記憶がある。小学校に入学して、担任の先生が大変な美人であることが、ことのほかうれしかった。




田舎に引き上げる前に、保育園児の孫の男の子に、「ボクの先生はきれいな人?」と問うたら、「ウン。かわいい先生。足がながくて、背が高いんだ」、「赤いお口で、お目目が大きいんだ」と答える。「ママより、きれい?」となお言葉を続けようとする僕に、危険を察知してか、孫のガードを固める家内と娘がいた。




銀幕のスター<永遠のヒロイン>のイーグリッドバーグマンのようにきれいだった。眼鼻の整った色白の先生だった。これは後年、僕が長ずるに従って、記憶の中で育っていったO先生である。




恥ずかしく、とてもじゃないが、ぜったい大人には言えない秘密があった。僕は、ほんとうはもっとエッチなことを想像していたのだ。その数日前、おませな悪ガキが、大の男女が絡む画を地面に描いて、人生初めての<性教育>をしてくれていたからだ。先生のお腹がだんだんと大きくなるにつれ、悪ガキの言ったことが真実だと理解し、その様を思い出して、股間が熱くなった。告白すれば、これが、僕の「ヰタ・セクスアリス」である。