アラフォーと30代半ばになる娘がいる。二人とも結婚している。妙なもので、今頃になって、特にいとおしく感じる。少し前までは、ただ「痛々しくて不憫だ」と思っていたのだが、世間の荒波にもまれながら、大海を必死に泳ぐさまを見ていると、可哀相で、いじらしく思う。こちらが70に手が届く年齢になったせいかもしれない。ことさら、娘がいとおしい。昔のように、娘を助けようとしても、手を貸せないせいだろう。東北大震災がそう思わせるのかもしれない。
 

先日も、突然、上の娘から電話がかかってきた。病院からである。エスカレータで足を踏み外して、足の骨を折って救急車で運ばれたという。全治1ヶ月の重症である。なんということだ。<孝経>に「身体髪膚(はっぷ)、これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という箴言がある。50年前に高校の漢文で教わった。人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが、孝行の始めという意味である。それを足の骨を真二つに折るとは、何事か。哀しかった。涙が出てきた。

 

私は、古い人間である。ナチュラルなのがいい。「髪など染めるな。茶髪などイカン。マニキュアも許さん。」、「耳だの鼻にピアスをするのは、ケシカラン。舌にピアスなどトンデモない。勘当もんだ」だから、女房に「あなたは、昭和の遺物」といわれるのかもしれない。
 

閑話休題。

こっぱずかしくて、人には言えないのだけど、オレは演歌が好きだ。<演歌>は、艶やかな歌とも、怨み節の<怨歌>とも書く。感情をモロに前面に出すからであろう。たとえば、八代亜紀の<昭和の歌など 聴きながら>なんぞ、ジーンとくる。いくつか、フレーズをなぞってみよう。
 

他人を妬(ねた)まず (うらや)まず

心を豊かに 朗らかに

そんな人生 送れよと

父さんあなたは 云っていた・・・
 

  自分を奢(おご)らず (つつ)ましく

涙は静かに 清らかに

そんな女で 暮せよと・・・

 

オレは娘に、歌詞の意味するように生きてほしいのだ。演歌は、オレの気持ちを語ってくれている。だから、演歌がいい。こっぱずかしくて、人には言えないけれど。