従兄弟のSに、「掌中の玉」のように、深く愛してやまない、一人娘N子がいる。特に、母と娘N子は、仲がよかった。学校に行く以外は、二卵性双生児のように、いつも行動を共にしていた。親離れ、子離れができていなかったからだ。Sの方は、放られっぱなしで、少し寂しい思いをしていたが、それよりも、先行きのことを心配していた。世間には、よくある話である。結婚しても、母親が、娘の夫の留守に、足しげく通い、いつまで経っても、掃除も洗濯も、お料理も下手な、自立のできない女がいる。そいう女にN子がなるのではと心配した。

 そんな時、娘N子に、米国に留学の話が持ち上がった。自立させるチャンスかもしれないとSは思った。もうかれこれ、20年も前の話である。そして、留学し、美術専門の大学に学び、学位も取ったのである。その間、やれアパート探しだ、引越しだというたびに、母も嬉々として、アメリカに行って、娘の世話を焼いた。大学を卒業したら、すぐにも日本帰ると信じていた。しかし、卒業を目前にして、もう暫く米国に残り、できれば就職をしたいと言い出した。


 2年の約束だった。S夫婦は、いずれN子もアメリカ生活にも飽きて、日本に戻ると思った。それに、昔と違って、インターネットでやりとりも出来る、会おうと思えば、いつでも会えると考えて、OKサインを出したのである。


 それから、2年待ち、3年過ぎた頃、N子から突然の電話があった。いつもと様子が違う。果たして、電話の向こうに、男性の気配がする。「私、結婚したいの!」という驚愕の電話である。相手は、アメリカ人だという。英語でまくし立てられると、Sの英語では、到底太刀打ちできないし、反論もおぼつかない。


  あれから、10年が過ぎた。世の中面白いものだ。3年前二人は、日本に住みたいと言って。突然日本にやってきた。娘婿Mr.Rは、ミュージシャンである。さすがのSの妻も娘の所に昔のように行きたくても、そうおいそれと行けない。なんと言っても、Mr.Rは、いつも在宅である。英会話がコミュニケーションのバリヤーとなる。


  話が長くなったが、そんなわけで、今や二人は東京で暮らしている。そこへ今度の原発事故が、起こったではないか。現代はインターネット電話の時代。彼の両親や兄弟からは、「アメリカに戻れ」と連日、矢の催促。友人知人からも、長々と心配の電話。


  Sは、Mr.Rの動揺に、下手な英語で、「落ち着け。アメリカは、過剰反応だ!」と冷ややかな反応を示した。しかし、娘の方は、アメリカの両親と日本のはざまにはさまれて、立ち往生である。娘の話によると、Mr.Rは、ナーバスでまったく元気がない。「日本政府は、事実を隠蔽している。メルトダウンだ。アメリカ政府は、航空機を用意して、二人を含めアメリカ人の出国を促している」と娘が、代弁する

 その時、Sは、「日本は、大丈夫だ。日本政府を信用しろ!そんなに帰りたければ、一人で帰ればいい」と吐き捨てていた。ただ、今になって、「本当は、アメリカ側が、正しかったのでは・・・」と思うことが多く、悄然としている。