生まれ落ちてすぐに故あって、田舎に養子に出され、山羊の乳で育った。今でも田舎で山羊に出会うと無性に懐かしさを覚える。ただ、母乳と縁が薄かったせいか、僕にはある妙な劣等意識がある。そのいくつかを披露してみたい。


 長いことたぶん大学を受験するくらいまでだったと思う。乳房(ちぶさ)を「ニュウボウ」と読んでいた。「ニュウボウ」とは、医学用語である。友人たちの前で、乳房を「ニュウボウ」とやらかしたものだから、多くの失笑を買ってしまった。僕のコンプレックスは、極限にまで達した。


 入社して数年経ての頃、僕をひいきにしてくれる職場の先輩が、自宅に招いてくれた。赤ちゃん背負った奥さんは、ふっくらとした色白で美形であった。たたずまいに素朴さが感じられる人だった。ディナーのあとコーヒーが出たときだった。奥さんが、僕に問うのである。「おチチ入れますか」と。咄嗟に何の意味か分からず黙っていたが、やがて妄想が頭をよぎり、顔が赤くなったのを覚えている。


 大学のクラブの先輩に、大そう綺麗好きで、しかも胸の豊かな嫁さんがいた。もともと酒好きな彼だったが、結婚して飲み屋に行く金がないのか、人を自宅に招いて酒宴を開いた。たいしてご馳走はないが、彼の座談が酒の肴だった。座が湿っぽいなと思うといろいろな話をして、雰囲気を和ませる。時々艶っぽい話なども面白かった。
「家内は、初心でネ」と始まる。誰かまわず話のネタにする。「ある夜、寝間に入って、『お前は大型だネ』と褒めたんだ。するとやっこさん、どう勘違いしたのか、『いえ、私の血液型は、A型よ』だって言うんだよ」。客の中には、話が何のことだか分からない御仁もいる。すると「家のは、おっぱいは、大きいがインテリなんだよ」とまた笑わせる。そうすると座は、大いに和む。件の奥方は、いたたまれず、台所に退避される。


 僕も疾うに還暦を過ぎた。もう乳離れをしてもいいのかもしれない。