ガルシア=マルケス(1928-2014年)の「百年の孤独」(1967年)がついに文庫化され、大手書店では平積みとなってベストセラーになっている。
正式な名前は、ガブリエル・ガルシア=マルケスであり、姓を父母両方からもらっているので、ガルシア=マルケスと、「=」でつなげて呼ぶのが正しい姓であり、本当は切り離してマルケスと呼ぶのは間違いなのだ。
私が「百年の孤独」を初めて読んだのは、社会人になって大阪支店に勤務していた新入社員の頃だった。
そのせいか、どうしてもこの小説には、大阪のフレーバーを感じてしまうのである。
最初に邦訳が出版されたのが、1972年のことだから、ずいぶん長らく単行本でしか買えない状態にあり、逆に言えば、それだけ単行本で十分売れていたということなのだろう。
「百年の孤独」は、既に世界的ベストセラーになっているわけだが、文庫化された途端に、もう重版が決まっており、各地の本屋で売り切れになるくらい売れまくっているようである。
それだけこの本のタイトルは皆知っていても、今の若者たち(若者だけではないだろうが)は、実際にはこの本を読んだことがない人が多くいたということなのだろう。
そもそも「百年の孤独」というタイトル自体が人を惹きつけるのである。
千年だと「源氏物語」になってしまうし、万年だと「亀」になってしまう。
百年で思い浮かべるのは、漱石の「夢十夜」の第一夜における美しくも幻想的な物語である。
なんと言っても、焼酎メーカーの黒木本店は、販売する焼酎の名前にもつけてしまったくらいである(どうやってネーミングを獲得したのだろうか。勝手につけてもよいのかな?)。
ガルシア=マルケスがノーベル文学賞をとったのが1982年のことで、私が大学を卒業して、社会人になった年なのでよく覚えているし、このとき文庫化されてもおかしくなかったはずだ。
最初の邦訳は、「新潮・現代世界の文学」というシリーズの1冊として1972年に刊行されていたので、既に10年は経っていた。
当時、この新潮社の現代世界の文学シリーズは、世界文学と言えば、ドストエフスキー、トルストイ、ゲーテなど既に歴史的名著として確立した文学しか知らなかった我々に、全く新しい作家の聞いたこともない文学を紹介してくれた。
確か2段組の小さい文字で、今の私の年齢ではとても読めない本だったが、このシリーズでは、ほかに例えばスタイロンの「ソフィーの選択」(1979年)なども、1983年に邦訳が出された。
この作品は、邦訳が出される前年の1982年に映画化されて、私は新入社員時代に、大阪支店の同僚何人かとこの映画を大阪で観た記憶がある。
メリル・ストリープが主演し、アカデミー主演女優賞を獲得した映画であるが、ナチスのホロコーストを扱った映画で、とても土曜日の午後に職場の同僚何人かと観に行くような娯楽映画ではなかったのだが、当時は土曜日も半ドンではあったが出社しており、土曜日の午後は、よく職場の仲間とうきうきして映画などで時間をつぶし、夜には一緒にどこかで飲んでから寮に帰るのが常だった。
半ドンというのは、午後から解放されて、それはそれで楽しみな一日なのであった。
ところで、この「ソフィーの選択」というのは、(子供向け?)哲学の入門書として、世界的ベストセラーとなっているヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」(1991年 NHK出版)とは全く異なるので注意が必要である(間違える人なんていないか?)。
最近、大型書店では、文庫本の「百年の孤独」と共に、漫画化された「ソフィーの世界」が積まれているのもよく見かける。
こうして名著というものは、文庫化されたり漫画化されたりしながら、何度も出版社を潤してくれるものなのだろう。
「新潮・現代世界の文学」が、いつの間にかシリーズとして出版されることもなくなり、一時は「百年の孤独」も手に入りにくくなって、私もこの本を手放してしまったことを少し後悔した時期もあったのだが、2006年に新潮社から「ガルシア=マルケス全小説」(全9巻)の1冊として、ずっと読みやすくなった「百年の孤独」が再び出版された。
私は、これで十分満足していたのに、今回の突然の文庫化にはあわてた(なぜあわてる?)。
心の準備がまだできていなかったのである。
大手書店では、この文庫の横に、解説として、池澤夏樹の新潮選書「世界文学を読みほどく」という本が並べて平積みされて売られている場合もある。
この本は、京都大学文学部の夏期特殊講義の講義録なので、話し言葉で書かれており、とてもわかりやすい世界文学の入門書だ。
池澤夏樹という人は、そもそも全集というものが不人気の昨今、「世界文学全集(全30巻)」及び「日本文学全集(全30巻)」を個人編集として、2017年に河出書房新社から出版を完結させた偉大な人で、しかも相当片寄った内容を特徴とし、世界文学全集には石牟礼道子の「苦海浄土」を入れ、一方、日本文学全集では30巻中12巻を日本の古典文学の現代語訳とし、またまた石牟礼道子を入れたりというように、素人向け文学全集ではなく、玄人好み?の編集と言えるかもしれない(単に他の名作は版権がなかっただけかもしれないが)。
何しろ、渡辺淳一のエロ小説でならした日経新聞朝刊の連載小説でも、古事記を題材に書いてしまうような人なのだ(「ワカタケル」2020年)。
上記新潮選書の付録にも付いているが、新潮社のホームページでも、池澤夏樹の監修として「百年の孤独」読み解き支援キットなるものまで用意してあって、至れり尽くせりの読者サポート体制を敷いている。
文庫本の解説は、筒井康隆が書いており、よくぞこの人を選んでくれたと思った。
「百年の孤独」が出版されたとき、世界中で(特に西欧文明社会において)、多くの人々がこのラテンアメリカ文学に衝撃を受けた。
小説というものは虚構性をもつものだが、それまではどこか現実世界に縛られており、それが当然のこととして受け入れられていた。
作家たちは、現実世界という枠の中で起こりそうな物語をつくり上げることにあくせくして、ほとんどの物語は、もう書かれてしまっていたのだ(ゲーテでさえそう言っている)。
場合によっては、もうそんな話は、千年前に紫式部が書いているよというような問題が起きていた。
それが、「百年の孤独」によって覆されたのである。
現実には起こりえないことが次々と起こって、それでも読者は、それがこの世界の現実として認識してしまうのだ。
こうした日常世界にシュールな要素が普通に入り込んでくることは、マジック・リアリズムという言葉で呼ばれたりした。
もちろん、日本の作家も大きな影響を受けて、筒井康隆などはいよいよその傾向が強くなり、また大江健三郎も大きな影響を受けたのだった。
当時、「百年の孤独」に、同じくそうした衝撃を受けた私ではあったが、初めて体験する大阪という土地に、それ以上の衝撃を受けていた。
東京で暮らした人間は、生半可、言葉がわかるものだから、海外に行くより大阪に行った方がカルチャーショックを受けると言われていたが、その通りだった。
では、「百年の孤独」の文庫版出版を記念して、私が体験した「大阪の衝撃」をいくつか思いつくままに述べておこう。
【大阪の衝撃】
1.「きつねうどん」と「たぬきそば」
東京では、「きつね」と「たぬき」の違いは、トッピングが油揚げか天かすかの違いである。
従って、「きつね」「たぬき」には、それぞれ、うどんもそばもある。
ところが、大阪では、トッピングには油揚げと天かすが両方入っていて、「きつね」と「たぬき」の違いは、うどんかそばかの違いなのである。
従って、「きつねそば」とか、「たぬきうどん」は存在しないのだ。
私は、最初、大阪支店に赴任したばかりの頃、職場で、「そんなばかなことがあるわけがない」と失言したために、女子社員たちから賭けをしようと申し込まれ、私の好きなうどん屋でもそば屋でも行って、そこのメニューに、「きつねそば」や「たぬきうどん」があったら、私の勝ちで私は無料、なければ女子社員たちに私が奢ることという賭けだった。
ある土曜日の半ドンの日に、その賭けは実行されることになったのだが、その内容が職場で広まると、参加者がどんどん増えて、私は10名近い女子社員たちを引き連れてそば屋を探すハメに陥った。
難波に行って、私がここと決めたうどんも蕎麦もある店にゾロゾロと入店し、メニューをもらった。
そこには、「きつねうどん」と「たぬきそば」しか書かれていなかった。。。
2.「指づめ注意」
東京では、電車のドアには、「ドアに手をはさまないようご注意ください」というように上品なシールが貼ってある。
当時、私は地下鉄御堂筋線で本町にある大阪支店に通っていたのだが、地下鉄御堂筋線の電車のドアには、包帯をぐるぐる巻きにした人差し指のイラストが貼ってあり、「指づめ注意!」と書かれていた。
どうも大阪では、指をはさむことを「つめる」と言うようで、職場でも女子たちが、「昨日、指つめてもってな」とか普通に話していて、東京人を怖がらせていた。
3.モータープール
大阪でしか通じない和製英語がある。
その代表的なものが「モータープール」(駐車場)であろう。
大阪では、あちこちに「モータープール」という看板があって、非常に不思議な光景だ。
「動く歩道」もなぜか必ず「ムービングウォーク」と呼ぶのだった。
また、放出(ハナテンと読む)という土地に、「放出中古車センター」というものがあって、東京人はだいたい笑ったりするのだが、大阪人には別に面白くないことだから要注意だ。
放出(ハナテン)の大地主には大変お世話になった。
大相撲の大阪場所のときには、当時の三保ヶ関部屋はこの大地主の土地に陣を張る習わしだったのだが、この大地主には、出入りする若いもんを鍛えてやるという考えがあって、ある時、三保ヶ関部屋の朝稽古を見に来いと命じられ、早朝に行ったことがある。
引退したばかりの北の湖もまだ稽古ではまわしをつけており、私は、大地主に「ここに座っとれ」と言われて、三保ヶ関親方(增位山)の隣に座らされて、早朝のぶつかり稽古を見学させられたのだった。
4.省略語
マクドナルドを「マック」とか、ケンタッキー・フライドチキンを「ケンフラ」なんて呼んだ日には、キザな奴として嫌われることになる。
マックは「マクド」、ケンフラは「ケンタ」と呼ばなければならない。
わざわざダサい言い方をしているのかと思われるほど、大阪の省略語はダサい。
ちなみにアイスコーヒーを東京で略して言う人はいないが、大阪では「レイコ(冷コ)」と言い、これまたとてつもなくダサい。
また、鳥肌をサブイボなんてダサく呼ぶのも、とても東京人にはできない。
5.ソウルフード
大阪で好きな食べ物のアンケートをとると、1位、2位はだいたい「たこ焼き」と「お好み焼き」が占めることは見えている。
大阪の女子たちは、誰でも皆、コテを使ってお好み焼きをひっくり返すのが、驚くほどうまい。
これを失敗する人間が、どうも大阪人には、最もダサく思われるようである。
また、300円のたこ焼きを買うときに、たこ焼き屋のオヤジが「ハイ300万円!」と言ったら、必ず、「安!」と驚かなければならない。
6.赤信号を渡る
車が来ないと、必ず赤信号でも渡る。
車も来ないのに止まっているのは、東京人だけである。
これはニューヨークに赴任したときにも同じことが起きた。
その時には、みんなが渡っているのに立ち止まっていると、観光客だと思われて狙われるから、必ず一緒に渡るようにと、赴任時に注意を受けていた。
また車が止まりきれずに横断歩道にはみ出していると、歩行者たちがボンネットを手でボンボンたたいて渡る風景も珍しい。
7.丸ビル
東京に観光に行った女子が、丸ビルが丸くないと怒っていた。
確かに、当時、梅田駅前にあった大阪の丸ビルは丸かった。
角が丸い程度では許せないのである。
丸と言ったら丸くないと絶対に許さないのだ。
好き嫌いはキッパリとしており、あれだけ阪神タイガースが好きなのに、デパートは阪急が好きなのだ。
8.お初天神裏の飲み屋街
昔、曾根崎心中で有名なお初天神裏の安酒場街に、「西班牙(スペイン)」というスナックのような店があって、若き日の私も入り浸っていた。
メニューもなく、お勘定はウイスキーのボトルを入れたら5000円、ボトルがあれば3000円と決まっていて、その日に払っても払わなくてもかまわないので、だいたいボーナス払いにしていた(ボーナス時に、10万とか20万とか適当に言われた請求で支払っていた)。
その店はオバハン姉妹2人がやっていて、その姪っ子のミカちゃんという20歳くらいのかわいい子がバイトをしていて人気があった。
店に行くと、オバハンがすごい勢いで料理をつくり始めて、もう食えないからストップと言うまでつくり続けるのだ(金のない我々に食わしてやるんだと言っていた)。
オバハン2人は、深夜2時に閉店すると、タクシーをひろって芦屋の自宅に帰るのだが、当時、帰り道の途中に寮があった私は、よく2時までねばって一緒にタクシーに乗り、タダで寮まで送ってもらったものだ。
金のない若き日々、本当にお世話になった。。。どうしているかな。。。(いや、別に会いたいわけでもないが)。
ああ大阪の話をしてしまったために、せっかく「百年の孤独」を話そうと思っていたのに、時間がなくなってしまった。
仕方ない、いつかまた気が向いたら、「百年の孤独」を語ることにしよう。
でも十分、「百年の孤独」的な内容の話になったのではないだろうか?(どこが?)
<了>