以前、このブログに、祐天寺にある激辛カレーの聖地「カーナ・ピーナ」を中心とした記事を書いたことがある。

 

 

今回は、その続編である。

 

聖地「カーナ・ピーナ」を大学浪人時代に発見し、40年以上通い詰めている元同僚のK氏。

前回は、一部上場企業の社長候補として登場したが、その後、ついに社長に登り詰め、今では社長として「カーナ・ピーナ」に通い詰めている。

さらに、私の元部下で源氏物語を愛するT嬢が、激辛好みと聞いて、「カーナ・ピーナ」に誘ってみたところ、我々二人をはるかに凌ぐ圧倒的な激辛耐性を示してK氏を狂喜させ、ついにはK氏にレギュラー認定されて、その後、定期的に三人で「激辛カレーの会」が開催されるようになっている。

何しろ、以前、K氏が「カーナ・ピーナ」に誘った女性たちは二度と来ない例が相次ぎ、K氏が自慢の部下として私に紹介した女性などは、その後まもなく、K氏の会社を去って行った(激辛カレーが原因かどうかまでは追求していないが)。

 

さて、カレー好きで知られる歌舞伎界のプリンス、尾上右近(愛称ケンケン)。

名前が「うこん」と言うくらいだから、カレー人生を運命付けられたようなこの男は、カレー漬けの日々を送っており、年間360食はカレーを食べると豪語している。

そういえば、K氏も、「カレーは私にとって食事ではなく生活です」とか訳のわからないことを言っており、右近とK氏の「生活」は非常に似たものを感じるのだ。

K氏などは、夜に「激辛カレーの会」が開催される日だというのに、その日の昼食では、我慢できずにセブンイレブンのカレーフェアのカレーに手を出し、さらに当日、家の夕食もカレーだったらしく、翌日も家にカレーが残っていると言って喜んでいたりする。

 

尾上右近は、カレー好きが高じて、ついに本を書いてしまった。

それが「華麗(カレー)なる花道」(2024年4月主婦の友社)という本である。

 

 

早速読んでみたのだが、歌舞伎とカレーの愛好家にはなかなか楽しい本である。

右近のカレーの好みも、チキンカレーを基本として、激辛好き、といっても神保町の有名店「エチオピア」では70倍まである辛さのうち6倍か7倍くらいを好み、ナンよりライスを選ぶ、レトルトは湯煎がいい、などなど、実に私の好みに近く、好感が持てる。

不満な点があるとすれば、パクチーが苦手で克服したいと言っている点で、やはりカレーの前菜として、パパド、サモサを、生タマネギのアチャールとパクチー入りミントソースで食べる至福の瞬間を考えると、絶対に克服しなければならない。

私などは、小田急線沿線にあったパクチー料理専門のレストラン「パクチーハウス」にそのうち行こうと思っているうちに、店がなくなってしまったことを、いまだに悔やんでいるくらいだ。

 

さらに右近は、とうとうケンケンカレーなるレトルトカレーもプロデュースして、その後もさらに発展させて、「ミャンマーチキンカレー チェッターヒン」をつくっている料理研究家の保芦ヒロスケさんとコラボして、「チェッターヒン ケンケンカレー」なども2種類ほど出しているのだ。

 

 

この「ミャンマーチキンカレー チェッターヒン」の「極辛」というレトルトカレーは、レトルトカレー史上の大傑作と言ってもよいもので、私はこのレトルトカレーを発見したときには、興奮のあまり、K氏に、「素晴らしい激辛レトルトカレーを見つけた」と報告したのだが、商品名も言っていないうちに、K氏から「チェッターヒンでしょ」とすぐに冷たく切り返されて、がっかりすると同時に自分のカレー道の未熟さを認識したものだ。

 

 

辛さだけで言ったら、京都のおみやげの定番、七味唐辛子の「舞妓はんひぃーひぃー」を販売する「おちゃのこさいさい」がつくり出した「狂辛カレー」は、辛さの常識を超えている。

さすがの私も、食べている途中で、生玉子を落とさないと、とても辛くて食べ続けられない状態に陥った。

当然、K氏とT嬢には、京都に行ったお土産として、「激辛カレーの会」で渡してみたのだが、二人はこの辛さに対してもさほど苦しまずに食べたようで、私はまたまた自分の激辛道の未熟さを認識することになった。

 

 

これだけ辛いと、生玉子を落とすとか、ヨーグルトを混ぜるなどといったアレンジが必要になるのだが、尾上右近の本で、「あいがけ」という手法を学んだ。

要するに、ごはんを真ん中にして、両側に別なカレーを注ぎ入れて、次第にミックスさせていく手法である。

今度、「狂辛カレー」と「グリーンカレー」の「あいがけ」をトライしてみるつもりだ。

まあ「グリーンカレー」も十分辛いのだが、この組合わせは、イメージしただけでもわくわくしてくるので、次回、京都に行ったときには、もう手を出すまいと決めていた「狂辛カレー」をまた買ってくるつもりだ。

 

 

さて、実際のレストランとしては、どこのお店のカレーがお薦めかと言われると、今のところ、我々「激辛カレーの会」としては、以下のお店での開催頻度が高いと言えよう。

1.たびたび登場する祐天寺の聖地であり激辛の原点「カーナ・ピーナ」

2.以前は六本木ミッドタウンにもあった銀座の「デリー」

3.西麻布の高級カレー店「嶮暮帰(ケンボッケ)」

 

さらに上記3店に加えて、八重洲の「ダバ・インディア」にもよく行ったのだが、ビルの再開発で、先日、閉店してしまった。

とは言え、「ダバ・インディア」で修行した人が、ほぼ同じ味を再現している名店も多くあり、超人気店でややお高くサービスが悪かった「ダバ・インディア」に比べ、銀座の「アーンドラ・ダイニング」はサービスもよく、本家をしのぐ味に仕上がっている。

4.名門「ダバ・インディア」をしのぐ「アーンドラ・ダイニング」

 

広尾の高級インドカレー「プリヤ」などもうまいのだが、ラーメンと同じで、値段が高い店は、うまくて当り前であり、食べていても味より財布が気になったりして、集中できない。

やはり、庶民が味に集中して、心おきなく量も食べられる財布にもやさしいお店を探してこそ、食べ歩きの喜びもあるというものだ。

このほかに私が丸の内の職場近辺で、ランチによく行くのは、

5.大阪の有名店、絶妙な辛口の「インデアンカレー」

6.インド風チキンカレーを、激辛、ルー大盛り、十穀米特盛りと指定するのがお薦めの「ホットスプーン」

7.体にやさしいスープカレーの「Suage」

などがあり、また、当然に神保町の古書店を歩いたときには、

8.神保町の名店「エチオピア」のチキンカレーの辛さ7倍

そうは言っても、時々、食べたくなるのが、

9.「新宿中村屋」のインドカリー

さらに、タイカレーも加えたくなるので、タイ料理のお薦めとして以下の1店、

10.新宿歌舞伎町のタイ料理の名店「バンタイ」

ということになる。

 

私が好むこれらのカレー店は、日本全国にある、いわゆる「インネパ」と呼ばれる人たちが経営しているカレー店ではない。

「インネパ」とは、日本でインド料理(カレー店)を経営するネパール人のことで、全国に、4000とも5000とも言われるインド料理店を営み、そのどこもが、非常に似かよったメニューで、まるでチェーン店でもあるかのようなインド料理店となっている。

しかも、なんでこんな所にと思うような辺鄙なビルにも、インド料理店として入っている場合も多く、その地域では大事にされていたりする。

 

決してまずくはないのだが、日本人好みのメニュー構成や味となっており、私が求めるスパイスの水準には達していない店がほとんどである。

日本人好みにアレンジされた、タンドリーチキン、バターチキンカレー、やたらとでかいナンの3点が定番としてあり、カレーを2種類くらい選べるセットメニューがある。

壁には、ヒマラヤやネパールの寺院の写真などが飾ってあり、時には、店の名前も「ヒマラヤ」だったりする。

ではなぜ、こんなにネパール人のインド料理店が日本に多いのか。

その謎を徹底したフィールドワークで解明している室橋裕和の「カレー移民の謎」(2024年3月集英社新書)という本が最近出版され、一部カレオタのベストセラーとなっている。

 

 

要するに、中国人が世界各地に進出して、中華街を形成しているように、ネパール人が日本に進出して、日本で暮らしていくためには、日本人好みのインド料理店をやっていくのが手っ取り早いのである。

ネパール人仲間のどこかのインド料理店で、しばらく修行して、同じメニュー、同じ味のインド料理店を、全国津々浦々の家賃が安い場所を借りて、自分のお店を始めるわけだ。

 

ネパールは観光以外にこれといった産業もなく貧困な家庭も多いので、出稼ぎ大国なのだ。

現在、日本には15万6千人以上のネパール人が暮らしており、この10年間で約5倍に膨れ上がったと言われる。

そのかなりの部分が、「カレー移民」とその家族と考えられている。

特にインド料理そのものには、思い入れも工夫もない人たちだが、日本人のカレー好きはよく知っていて、なるべく失敗しないように修行した店のメニューをほとんどコピペして、自分のインド料理店を始めるのである。

逆に言えば、それだけ多くの日本人が、インネパのカレーに満足しているということで、それはそれでよいのだが、本物のスパイスカレーの味を教えてあげたくなる。

いずれにせよ、こうして、多くのネパール人が、日本で出稼ぎするために、日本人好みにアレンジされたインドカレーのレシピをコピペして、全国5000ものカレー店を開業しており、ネパール人の日本への流入に、カレーは大きな支えとなっているのだ。

 

さらにこの本は、インネパの日本人好みのメニューがどうして形成されてきたかを掘り下げ、かつては銀座にあった「アショカ」と六本木の「モティ」を紹介する。

「アショカ」は日本に初めてタンドールと呼ばれる窯を持ち込み、タンドリーチキンとナンを広めた。

「モティ」は、日本のバターチキンカレーの祖とされる名店だ。

どちらも、私が大学生の頃から有名店であり、思い出のある名店である。

「アショカ」については、銀座になくなってしまったなとは思っていたが、現在は、新宿のヒルトン東京の地下に移っていたという経緯はこの本で初めて知った。

そうと知ったからには、もう一度行かねばならぬ。

この本は、さらに深くインネパの歴史や状況を伝えてくれるのだが、内容紹介はここまでとしよう。

日本全国に進出するインネパカレーではあるが、日本人好みの最大公約数的インネパのカレーは、その裏にある物語は興味深くても、結局、私の激辛スパイスカレー道の探求の対象とはならないのであった。

 

日本人たるもの、カレーのみならず、ラーメン、寿司、トンカツはなくてはならないもので、カレーとトンカツを合わせたカツカレーなどはそれだけで感動的である。

かつて、私が外資系金融機関で働いていた頃、財務をやっていた気の良い年配のアメリカ人P氏がいて、ある日、唐突に「最後の晩餐があったらお前は何を食べたいか?」と聞かれたことがあった。

私が答えられずに考えていると、普段は穏やかなP氏が、やや興奮気味に「オレは絶対に最後の晩餐はカツカレーだ!なんであんなにうまいものが世の中にあるのかわからない」と言うので驚いたことがある。

私は、これをきっかけに、学食の定番くらいにしか思っていなかったカツカレーに敬意を表するようになった。

 

ほかにも、私は、かつて、UFOキャッチャーで、アンパンマンシリーズの小さめのぬいぐるみを捕ることに夢中になっていた時期があったのだが、アンパンマン、食パンマン、ドキンちゃん、バイキンマンと順次揃えて、そのあとは、カレーパンマンばかり捕り続け、とうとうカレーパンマンが7個くらいたまってしまったことがあった。

 

 

こうしてカレーにまつわる話をしていると、どうしてもカレーが食べたくなってくる。

ケンケンも著書の最後には、「カレー食べたくなってきませんか?」と問い掛け、「そして食前食後には歌舞伎もぜひ! 劇場にてお待ちしております。」と締めくくっている。

次には、ケンケンが「楽屋の一部」と呼ぶ歌舞伎座近くの有名店「ナイルレストラン」で、「ムルギーランチ」と「チキンマサラ」を食べて、歌舞伎に行かねばならぬ。

 

<了>