2024年4月4日 『 清 明 』(せいめい) | kasatakakt66

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睡蓮(すいれん)

                                     

ウイキペディアより

清明は、万物が清く明るく生き生きと見える時期です。清らかで明るく、生き生きとした様子を意味する「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」を略した言葉です。各地の桜前線は北上し、草木がいっせいに花を咲かせます。空は澄んで晴れわたり、景色は明るくキラキラと、活気あふれる時期です。

 

お寺の掲示板

 

概要
樹木 希林は、女優。戸籍名:内田 啓子、旧姓:中谷。旧芸名は悠木 千帆。 東京府東京市神田区出身。 2番目の夫は内田裕也。間に娘・内田也哉子がいる。夫とは長く別居を続けていた。 父は薩摩琵琶奏者・錦心流の中谷襄水。妹も薩摩琵琶奏者の荒井姿水。その息子も薩摩琵琶奏者の荒井靖水。
ウィキペディアより

 

樹木希林さんは、「いつでも来るものなの」 と変えてあるが、多分引用されたのは、茨木のり子さんの詩集からだと思います。

  死は いつか来るものではなく いつでもあるものなの

この詩は、茨木のり子さんの詩集「自分の感受性くらい」という詩の

一節です。

「いつでもある」という表現は、死が常に私たちの身近に存在していることを意味しています。

死は、いつ、どこで、どのように訪れるかわかりません。

だからこそ、私たちは、いつでも死ねるように、悔いのない人生を生きなければならないのです。

以下、詩の全文です。

**自分の感受性くらい**

自分の感受性くらい
自分で守ってやらなければ
誰も守ってくれない

自分の感受性くらい
自分で磨きあげてやらなければ
誰も磨きあげてくれない

死は
いつか来るものではなく
いつでもあるものなの

だから
いつでも死ねるように
生きなければならない

**茨木のり子**

この詩は、多くの人に共感を呼んでおり、教科書にも掲載されています。

他にも、茨木のり子さんには、「わたしが一番きれいだったとき」「うたの木」など、多くの詩集があります。

 

概要
茨木 のり子は、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。 

主な詩集に、『見えない配達夫』、『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』、

『倚りかからず』など。 
出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1926年6月12日
死亡日: 2006年2月17日, 東京都    
ウィキペディアより

 

おしまい