表現する衣服展~なぜ着るのか、選ぶのか | 脳神経内科看護師刺繍家・ナース刺繍のブログ

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看護師であり刺繍家である私がシビれた(最高の褒め言葉)アート、カルチャーについてつづります。

この世から服がなくなったとしたら、あなたは何を失うと思いますか。

(全裸になったつもりで私も考えてみます。)



さて、今回訪れた展示会は

「表現する衣服 展」



(ずっと持ち歩いていたので折り目がついてしまってすみません)


場所は福岡県朝倉市にある

「gallery cobaco」さんです。




写真はモダンな建物に見えますが、こちらはお庭にある分館です。

本館は由緒ある旧家の重厚な建物なのですが、これらのスペースに様々な衣服たちが待ち構えていました。


チラシには

おれちょ本多さん

片中静子さん

sanakaさん

志戸朋子さん

龍ケ江みどりさん

徳永江里子さん

西村政俊さん

本田智子さん

とりすさき さん

秋重久美子さん


のお名前が挙げられていますが、この他にも別館のひとつで依田拓海さんの展示(個展)も行われていました。


夢中になってみていたら、写真を撮るのを忘れていました。

全てご紹介出来なくて残念です。






作家さんそれぞれに「衣服」を題材にしたコンセプトがあります。


服という小さな空間の中で自分はどんな存在であるか。


どうして私は手づくりの服にこだわるのか。


おしゃれな服ってなんだろう。


そんな自分への問いかけに、作家さんなりに見つけた答えが作品に投影されていました。


この表現たちは真っ白なキャンバスに自由に絵を描くのとはちがいます。


「衣服」というものは

”アート”というだけでなく

”ファッション”

であり、

”生活必需品”

としての要素をふくんでいます。

これらのくくりがあるからこそ自由になれる気もするのです。

(無尽蔵に広がったキャンバスに何か描け、と言われるよりハガキ大の白紙に何か描けと言われる方が心が自由になりませんか。)


作家さんの表現は、どれも踊るように自由でした。



試着もできるということで私は「雨乞いのマスク」を着けさせていただきました。

甘木絞り(甘木地方に伝わる絞り染め)作家・西村政俊さんの作品です。





染物には良い水が不可欠で、西村さんご自身の制作も雨とは切りはなせないとお考えです。



個人的に雨に強い思い入れがあったものですから、ぜひ!とかぶらせていただきました。


とがった頭頂部から受けとった天のエネルギーが、稲妻のように身体を通りぬけて地をおおうようなイメージが浮かびました。


顔を完全におおうことは「変身」でもあります。

はじめは自分が雨雲をよぶ特別な存在になれる気がします。

しかし目の部分は布がうすく前が透けて見え、このことが

「自分ではない何かになろうとは思うべきではない」

というブレーキをかけてくれるようでした。

外界とのつながりが自分のおごりを消してくれます。


「完全に覆う」

「でも社会からは遮断しない」


このふたつのレバーを微調整することで、装着する者の精神をコントロールできることは新たな発見でした。


(たくさんの考察をしたものの、気恥しさもありおどけてポーズをとってしまいました。

西村さんと雨の神様ににこころからおわびします。)



さて、この日私が着ていたのは白いTシャツ。

胸にはヒョウがおばちゃんの絵のついた服を着ている、というふざけたTシャツです。

「衣服」をテーマにした展示だったのでちょうどいいかな、と考えました。


そして濃紺のロングスカートをあわせました。

派手なピンクのパンツと迷ったのですが、展示会ではどんな出会いがあるかわかりません。

「ナース刺繍です」

とあいさつをする時に、あまりはじけた服装ではモノトーンでそろえている自分のブランドイメージとのズレを起こすかもしれません。


また、ウエストがジャストのものを着て長く車に乗るといつもひどい腹痛をおこします。

ウエストにゴムを使っているのもこのスカートを選んだ理由の一つでした。


これらの「服の選択」という行為の中に、自分のアイデンティティというものが詰まっていると気がつきました。



「人前で全裸になったとしたら何を失うか」

今回の展示を拝見した上でこの冒頭の質問にもどります。


やはり、恥ずかしい!が先に来ると思いますので「自尊心」は傷つくと思います。

しかしこの世に生きる人すべてが全裸になった場合、羞恥心は消えうせていくかもしれないのでこれは社会との相対的な話かもしれないと思いました。



服がなければ安全性や快適さも失うでしょう。

私は寒いのが苦手ですし、日々仕事で着用している白衣は身を守るものでもあります。



個人的になによりも失うと困るのは

「服を選ぶ」

という行為です。


昨今では「選択する」という時間をを少しでも減らすような動きがあるとききました。

服を選ぶ時間を自分がやりたいことにつぎ込むことを重要視し、全て同じ上下のものをそろえたり、一週間のコーディネートを設定してしまう...ということです。


これも素晴らしいことだと思います。

少しの時間も惜しんでつぎ込めば、きっと何をかを達成できることでしょう。


私個人でいえば、服を選ぶということは「ナース刺繍」としての活動において大切なことです。

先でも述べましたように、自分がどう見られるのかを意識することは制作と同じくらい大事です。


武庫川女子大学生活環境学部准教授 井上雅人さんのコラム

とても面白い記事を見つけました↑


人はいくつもの側面と立場を持っており、その多面性のいくつかには自分でも受け入れられないものもある。(厳しく部下を指導しなければならない、とか。)

しかし、立場上やむを得ない場合、それらを演じることに衣服を利用することもある...

という部分にはなるほど、と思いました。


物理的に身体だけでなく衣服はその人の精神性を守るものでもあるのです。



「表現する衣服展」は2024年6月15日で終了しましたが、衣服に自分は何を包んでいるのか...とじっくり考える良い機会となりました。



今日最後まで読んでくださりありがとうございます。


ナース刺繍は人体、医療をモチーフにして

「内に還(かえ)る」

をテーマにした刺繍制作を行っています。


9月には福岡市内で個展を開催予定です。

ホームページやInstagramでの告知も今後行う予定です。

どうぞご覧下さい。

(いずれも「ナース刺繍」でご検索ください。)


https://nurse-shishuu.hp.peraichi.com/