『自分が選んだ仕事に通ずる道を得るまでには、求め待たなくてはならない』
たしかシュバイツァーの言葉だったとおもいます。
高校生のわたしはこの言葉を毎日よみあげ、自分をふるい立たせていました。
看護師になることを父に大反対されていたからです。
「看護婦(当時)は、貧しい家庭の娘がする仕事」
そんな偏見が、父の世代の一部の人間にはあったようです。
また彼自身、父親を若くしてなくし大学に進めなかったこともあり、どうしても自分の子には四年大に進んでほしい…という気持ちがあったようです。
こどもの夢をぶち壊すような親に怒りしかわかず、毎晩大ゲンカ。
それがエネルギーになって猛烈に勉強できました(笑)。
就職するころには父もわたしを応援してくれるようになり、夜勤の送り迎えをしてくれていました。
さて、今度は結婚してからです。
夫の母は偶然にも看護師で、しかも同じ看護学校の大先輩でした。
卒業後もわたしとおなじ大学病院に勤務していましたが、他医院で婦長もつとめ、経験豊富な頭のいい人でした。
もともとは医学部に行きたかったそうですが、やはり父親を戦争でなくし弟を大学にやるために看護婦になったそうです。
結婚前には夫から、わたしが看護婦という理由で良くは思われていないことを聞かされました。
やはり
「看護婦をしなくてはならない家庭の娘」
という思いがあったようです。
結局は息子の選んだ人なら、とおもてだって反対はされませんでした。
結婚後も両親は、わたしにとてもやさしくしてくれました。
しかし、
「看護婦を嫁にもらうということはどういうことなのか、頭のすみにおいておけ」
と夫は両親に言われていたそうです。
時代は変わり、たくさんの先輩方の努力のおかげで看護師の立ち位置もむかしよりは確立されているとおもいます。
わたしももちろん看護師という仕事はすばらしいとおもっています。
しかし、看護師をたよりにしてくれるドクターもいれば
「下手に勉強や研究をして、医者もどきのことをするな」
という考えのドクターもいます。
そんな言葉を聞くたびに正直、心がゆらぎます。
以前にも
「看護師とは何をするしごとか、自分のなかに答えをもっておきなさい」
と学生時代に教官にいわれたことをブログにかきました。
これは難問です。
そう簡単にはこたえがでません。
看護師を目指すかたがもし読んでくださっているならもうしあげたいのですが、
看護師になること
看護師であること
看護師をつづけていくこと
において、かならずぶつかる壁があります。
そんなときに
「看護師とはなにか」
という自分だけの答えがあなたを支えてくれます。
国家試験が、先日終わりましたね。
受験生のみなさんはたいへんお疲れさまでした。
コロナ禍にも負けず、実習、試験勉強、よくがんばりましたね。
どうかこれからも、夢に向かって着々とすすまれてください。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
「ナース刺繍」は日々の勤務のなかで思ったことや気づいたことをつづらせていただいております。
また刺繍作家としても活動しております。
刺繍小物の販売も行っておりますので、お時間ありましたらギャラリーもご覧いただけますと幸いです。