親父 | かさこヒルズ  だんでぃずむ

かさこヒルズ  だんでぃずむ

かさこ山から  ぼそり ぼそり と   “ひとりごと”。

親父が息を引き取りました。

18年ブログを書きながら親父のこういうことを書くのに、亡くなったと書くものか、死んだと書くものか、生涯を閉じたと書くものなのか、表現さえ戸惑うほど普段でない自分です。


足腰は弱ってましたが、頭も体調も悪くない中で、たった1週間体調を崩して、救急車で運んでもらってからは1日立たず逝ってしまいました。

人間の命というのはあっという間で儚いものですね。

頑固で意固地で理不尽で、晩年は私含め子ども達とは随分喧嘩もしました。

昨年は数ヶ月実家にも行かない時もありました。それくらい顔も見たくない時もありました。

そして、この先、どう世話したらいいのだろう、とため息ついていた事を理解したように親父は急に逝ってしまいました。

息を引き取った瞬間、正直、安堵しました。そして今、日が立つにつれてじわじわと親父との思い出を思い起こすことが増えています。不思議なものですね。。。


親父は母子家庭で育ち、自分の親父も祖父も見たことがないからか、親父として、祖父として、超が付くほど不器用で、子どもたちや孫に対しても理不尽な言動もありました。
でも、幼少に淋しい環境を過ごしたが故か、知り合いか初対面かに関係なく、居合わせた誰にでも話しかけ、人とつながっていることが好きな人間、ワイワイと楽しい酒を飲むことが好きな人間、でした。
私を筆頭に、僕の弟妹、げんき、ゆうと、ここか皆、人と関係を持つことが苦とならない性格は親父の財産なんでしょうね。

私が好んで、げんき、ゆうと、ここかに教えたり体験させた、川釣り、日曜大工、将棋、昆虫飼育、生き物飼育は、全て親父が幼少時代に私に与えてくれた体験と時間でした。
阪急−オリックスを好きになったのも、全て親父の影響なんですね。
(最後までツルさんからのいただきものに御礼をしないと、とずっと言ってました。大丈夫だよと返していたのですが)

結局私は、親父から受けた影響を、私の息子たちにリピートしていただけなんじゃないか、と、、、、
今気付いたわけではないのですが、当時面倒くさい時間においてはそんな良き過去には目をつむり、思い起こさないようにしてたということなんだと思います。

私達子どもたちに対しては怒らせるような言動が多かった親父ですが、げんき、ゆうと、ここか等孫達には、不器用ながらも優しいおじいちゃんでした。
迷惑かけないように、ここかの卒業式と引っ越し日を越え、さらに、ここかの誕生日の日になったのを確かめてから、まるで、おめでとう、と声をかけてから逝ったかのように、すっと息を引き取りました。

棺桶には好きなお酒と、愛用のたばこ「わかば」を入れてもらい、そして、棺桶に入れてあげてといただいた、オリックスのユニフォームを上にかけてもらって、親父はホントに幸せそうに見えました。
皆様の生前のご厚情に感謝申し上げるとともに、最後の最後までお気遣いいただき本当にありがとうございました。

親父の野菜は美味しかったです。コチラ


通夜でも告別式の喪主挨拶でも言えなかったのですが、親父には言っておきたいと思います。
ありがとう。