森羅万象から学ぶ人生羅針盤「何もしない悔恨は人生の言い訳」
詩人の萩原朔太郎は、「いやしくも悔恨しないことを欲するならば、人は何事もしないほうがよい。しかしながらまた、何事もしないところの人生も、ひとしくまた悔恨なのである」と述べています。
悔恨とは過ちを後悔することですが、前述の言葉を訳せば「やらなければ良かったと思うなら何もするな。しかし一方で、やっておけば良かったと思うこともある」となるでしょう。
この2つを比べるならば、やらなければ良かったは健全な後悔といえます。なぜなら発明王エジソンの「私は失敗したことが無い。うまくいかなかった方法を見つけただけだ」と同義語になるからです。
それに対して、やっておけば良かったという後悔からは何も生まれないのです。世の中の先人・先哲は、エジソンに限らず、やらなければ良かったと思うことの積み重ねの上に、ようやく成功という成果を得ているのです。
つまり、失敗を恐れない勇気があったわけですが、その根拠となるのは努力の末に得た確固たる自信です。しかし失敗によって、その自信が失われることもありますが、「やり方を変えよう。視点を変えよう」と切り替え、前進すれば済むことです。
企業トップの中には、倒産という失敗から立ち直った人が何人もいます。それでも最後には笑っているので高い授業料になったかも知れませんが何もしなかったと嘆くことはありません。同時に、失敗を悔やむこともなかったでしょう。
何事もしない人生は、すべてがゼロなのです。こうして生まれる悔恨は人生の言い訳にしかならないことを肝に銘じておきましょう。