先日、近所のおじさんの盲腸のお見舞いに行った時に、近所の奥さん方3人が、丁度同じ日に入院した近所の身寄りのない日本人男性の看病をしてるとかで、日本人だからという理由で、そのおじさんの部屋にも行くことになりました。

 

 そのおじさんは、多臓器不全で、日本の医療ならなんとかなるかもしれないけど、インドネシアでは無理かもねという状況でした。

 

 それでも日本には帰りたくないとかで、それから一か月後ぐらいに息を引き取りました。

 

 

 遺体は近所のお墓に併設された火葬場で火葬し、後で親族にお骨を取りに来てもらうことになったそうで、私は出席しませんでしたが、そのおじさんに一回しか会ったことのないレノさんもお葬式に出席しました。

 

 とても暑い日でした。

 

 「あぁあの人もういないんだなぁ。もう骨になっちゃったんだな。あのおじさんの骨も箸から箸に渡して、骨壺に入れたのだろうか。バリではそんなことはしないのだろうか。」なんて、ぼーっと考えてました。

 

 そのうち、なんで食べ物はダメなのに、ヒトの骨は箸から箸に渡して、骨壺に入れるんだろうと疑問に思い調べました。

 

 それは、「故人が三途の川を無事にわたることができるように、親族らが心を込めて箸から箸に渡す(彼岸へ渡る)お手伝いをしている」のだそうです。

 

 「へぇー、そんなこと全然知らなかった!」と思いました。

 

 また、死装束に関しても、

 

 死装束が白い理由は日本人が紅白という色を特別視していることに由来すると言われています。
 日本人が紅白に特別な意味を見い出すようになったきっかけは、平安時代の源平合戦とされており、源氏が白旗、平氏が紅旗を掲げて戦ったことから、対抗する配色として特別に見るようになったと言われています。
 死装束が白い理由は、紅が出生の意味を持つのに対し、白は死を意味すると考えられているからです。また、白は清らかなイメージがあり、綺麗な状態で浄土へ出発してほしいという思いの表れとも言われます。

 

 とありました。

 

 私が経験した身近な人の葬儀は、私が10歳の時に亡くなった祖母のものだけなのですが、死装束を着せられ化粧をした祖母を見て、「あぁばあちゃんは、これで終わりじゃなくて、これから何処かに行くんだな」と子供ながらに思ったのを覚えています。

 

 あのおじさんの骨は、日本に帰されても、魂みたいなものはバリに居るような気がしてなりません。