パラオ諸島ペリリュー島の事を知ったのは、スキューバーダイビングの免許を取り、楽園のパラオへ行きたい🤿と思ったことから〜その後、西田文郎先生から、また赤塚高仁さんとの出逢いで『皇居勤労奉仕』仲間たちがペリリュー慰霊訪問(赤塚さんは今年10回目のペリリューツアー開催)したことや現上皇陛下の2015年ペリリュー慰霊訪問、契約の芸能事務所が『ペリリュードラマ』に関わったこと等…いつかは私も慰霊訪問したいとー。
で、本作品について〜
アニメで映画化されると聴いて観に行くって決めてた🎥
アニメの優しい風合いでオブラートに包まれているから、観やすいのかな〜🎥
平日の昼間の回〜ほぼ満席🈵
『野火』『プライベートライアン』はじめとする
戦争映画〜最近では『木の上の軍隊』が近いのかな?を観るといつも思うのが、敵は遠くにいるんじゃなくて身内にいるってこと〜意見(意志)の違いからの仲間同士(身内)での争い無駄死…
それは当事の軍国主義や “ お国のため ” と言う天皇絶対主義的なものだと思っていたけど、今回のコロナで、自分と違う意見は受け入れない〇〇警察的な思想や同調圧力や洗脳など…偏りの怖さと中庸(仲良し)の大切さを感じた。
折しも鑑賞日12月9日は、皇后陛下雅子様の62歳のお誕生日🎂&戦後80年…優しさ溢れる外交は永遠の “ 世界平和 ” 🌈
生きて帰りたかったよね〜
まだペリリューにはたくさんの遺骨が残っています…
【ペリリュー島の戦い】
1944年9月15日アメリカ軍の当初の計画では島を4日で攻略する予定だったが、最終的に2か月半(〜11月27日)を要し、米軍の作戦計画を大きく狂わせることになり、両国共に1万人を超す戦死者を出した。要塞化した洞窟陣地などを利用した日本軍の組織的なゲリラ戦法は敵軍を苦しめ、後の『硫黄島の戦い』へと引き継がれていくことになる。
生き残った兵士たちは洞窟にたてこもり続け、昭和20年8月の終戦(戦闘終結)も知らず?、2年半後の昭和22年4月22日元海軍少将の説得で兵士たちは武装解除に応じたが、生き残っていた日本兵はわずか34人だった。
生き残った兵士たちは洞窟にたてこもり続け、昭和20年8月の終戦(戦闘終結)も知らず?、2年半後の昭和22年4月22日元海軍少将の説得で兵士たちは武装解除に応じたが、生き残っていた日本兵はわずか34人だった。
『ペリリュー - 楽園のゲルニカ-』62/2025
『ペリリュー 楽園のゲルニカ』予習動画🎥
『波動~共鳴』154/皇居勤労奉仕を終えて〜
皇紀2674(2014年/平成26)年6月1日(日)
2019年10月21日(月)21時半蟹座下弦の月を越えて、22日(火)はオリオン座流星群極大&㊗️【即位の礼∶天皇即位礼正殿の儀】が皇居で執り行われます✨
皇后雅子さま62歳のお誕生日を迎え「平和を守る…
『TOKYOタクシー』観て来ました🎥😄👌




