8/15(金)『終戦記念日』第2段(2本目)『雪風 YUKIKAZE』鑑賞 | 歴史の散歩道~KANAのひとりごと

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8/15(金)『終戦記念日』第2段(2本目)公開初日『雪風 YUKIKAZE』鑑賞🎥😊

「🇯🇵日本は大丈夫です‼️😄👌」

 本日『終戦記念日』鑑賞後参拝した
明治以降の国事に殉難した246万6千余柱(神霊みたま)を祀る『靖国神社』には、17時過ぎも多くの人たちの平和と英霊への感謝の参拝がありました👏 

 この作品に出会うまで、駆逐艦「雪風YUKIKAZE」の事は知らずにいました🛳️ 

 特に良かったのはキャストたち。
竹野内豊さん(雪風寺澤艦長)、玉木宏さん(早瀬先任伍長)、中井貴一さん(大和伊藤艦長)、有村架純さん(寺澤艦長娘)等メジャーで活躍している役者たちはもちろん、それ以外の人たちも良かった! 

零戦(特攻)出撃シーンと、その後特攻の話しも出てきて、先日神風特攻敷島隊第1号隊長 関行男氏(五軍神)が愛媛県西条出身と言うことで祀られている『楢本神社・神風特攻記念館』に案内して頂き、参拝して来ました。


本土に暮らす家族の為、命をかけて祖国日本を守ってくださった英霊となった皆さん。


上の者たち(雪風寺澤艦長・大和伊藤艦長他)がただ國の為としてではなく、理不尽な犠牲(命を捨てる行為、片道だけの燃料等)には反論していたのも。


 ラスト終わり方〜波の音は良かったけれど、
手を振っての私たち鑑賞する子孫への問いかけはちょっと茶番かな〜まぁ有り🆗「🇯🇵日本は大丈夫です‼️😄👌」で済ませたけど(笑) 

 後、砲撃シーンの顔が全部一緒で、使い回しだったのかな〜残念でした。 

 〈ストーリー〉
真珠湾奇襲攻撃による日米開戦以降、ミッドウェイ、ガダルカナル、ソロモン、マリアナと、すべての苛烈な戦いを生き抜き、どの戦場でも海に投げだされた多くの仲間たちを救い、必ず共に日本に還って来た一隻の駆逐艦があった。その名を「雪風」。いつしか海軍ではこの艦を“幸運艦”と呼ぶようになる。それは沈着冷静な寺澤艦長(竹野内豊)の卓越した操艦技術と、下士官・兵を束ね彼らから信頼される先任伍長早瀬(玉木宏)の迅速な判断によるものだった。時にぶつかりながらも、互いに信頼し合っていく二人。そして「雪風」はついに日米海軍が雌雄を決するレイテ沖海戦へと向かうことになる…。  
『雪風 YUKIKAZE』49/2025




【雪風YUKIKAZE】
大東亜戦争時の主力駆逐艦だった甲型駆逐艦38隻の中で唯一戦後まで、ほぼ無傷で生き残った艦である。駆逐艦は激戦の海に投入され、戦艦や空母の盾となって損耗率が非常に高かったが、雪風は昭和17年2月のスラバヤ沖海戦から同20年4月の坊ノ岬沖海戦(戦艦大和以下第一遊撃部隊の沖縄特攻)まで十数度の作戦に参加し、果敢に戦った。
乗員の練度高く、特筆すべきはその間一度も大きな損傷を受けなかったことで、「奇跡の幸運艦」と呼ばれた。

海軍記者の大御所だった伊藤正徳は、『連合艦隊の栄光』で〈軍艦としての武運長久などの形容詞より、幸運(好運)という平凡な表現の中に雪風の偉大さを求めたい〉と綴る。
戦艦大和の沖縄特攻に随伴した第二水雷戦隊の編制は、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風、浜風、雪風、初霜、霞、朝霜、冬月、涼月の9隻。航空支援のないわずか10隻が、我が海軍最後の水上部隊だった。

 雪風は戦後は復員輸送のために働き、日本海軍解体に伴って除籍後は〝賠償艦〟として中華民国に引き渡された。「丹陽」と艦名を改められ、同国海軍の主力として中共軍とも戦った。その後、1971年に解体された。 
 

駆逐艦「雪風(ゆきかぜ)」の「錨」⚓
 駆逐艦「#雪風」は、太平洋戦争中で終戦まで生き残ったという奇跡の艦艇で、「不沈艦」「幸運艦」とも呼ばれています。
広島県江田島市にある #海上自衛隊 #第1術科学校 #教育参考館 でご覧いただけます。

教育参考館HP‣https://www.mod.go.jp/msdf/onemss/kengaku/index8.html 
 ※海上自衛隊は、映画「#YUKIKAZE」に協力しました。


8/15『終戦記念日』第1段(1本目)『木の上の軍隊』鑑賞🎥