『ウィンストン・チャーチル  ヒトラーから世界を救った男』試写鑑賞 | 歴史の散歩道~KANAのひとりごと

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『ウィンストン・チャーチル  ヒトラーから世界を救った男』試写鑑賞

本年度アカデミー賞主演男優賞:ゲイリー・オールドマン受賞&メイクアップ&ヘアスタイリング賞:辻一弘他2名受賞作品☆

1940年、第二次世界大戦初期。
ナチス・ドイツの勢力が拡大し、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍がダンケルクで窮地に追い込まれるなか、ヨーロッパの運命は、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手に委ねられた・・・。

「ウィンストン・チャーチルはイギリスの首相になるはずがない男だった。
“すべて完璧にこなす”政治家とほど遠い彼が首相に選ばれたことは、衝撃的な出来事だった。たしかに切れ者ではあるが、その一方で偏執的で、何をしでかすかわからない危険人物というのがもっぱらの世評だったからだ。
チャーチルは26歳で英国議会議員になり、政界で順調に頭角を現したが、次第に国家の要職には適さない人物だと見られるようになった。
60代を迎えた1930年代ともなると、その政治的キャリアは事実上終わっていた。
いろいろな意味で、チャーチルは前任者のネヴィル・チェンバレンの引き立て役に甘んじていた。チェンバレンといえばすべてを完璧にこなす、まさに典型的なイギリス首相だったからだ。
イギリス人は、首相をうかつに選んだりはしない。
たとえばアメリカの大統領と比べて、歴代の首相は概して年長で、適正を厳しく吟味されて選ばれるのが通例だ。異例の早さで権力の座に上りつめたジョン・メジャーでさえ、アメリカ大統領の多くに比べ、首相職への備えができていた。
チャーチルは、異端の政治家だった。
愛国心に満ち溢れ、イギリスへの潜在脅威に対してパラノイア的な防衛意識を貫いた。ガンジーさえも危険視し、インドの自治を求める平和的な運動にも猛反対した。
チャーチルは自国を脅かすあらゆる脅威に声高に騒ぎたてるチキン・リトル(臆病者)だったが、まさにその難点ゆえに、歴史上最も尊敬される指導者の一人となった。チャーチルはただ独り、早い段階からヒトラーの本質を見抜き、脅威と認識していた。
一方チェンバレンは、ヒトラーは「約束をしたら、それを守ると信じられる男」という考えで凝り固まっていたので、宥和政策こそナチスの台頭を抑える方策だと確信していた。ここぞという重大な局面で、チャーチルのパラノイアが本領を発揮したといえる。いじめっ子に弁当代を渡したら最後、もっと巻き上げられるだけだ、奴の鼻を一発ぶん殴らなければならない、と見抜いていたのだから。
チャーチルの熱狂的な国防意識…危く彼の政治生命を滅ぼしかけた…は、第二次世界大戦前夜のイギリスになくてはならないものだった。
そして幸運にも国民は、手遅れになる前にそのことに気づいた。」(エリック・バーカー氏の心に響く言葉より…)

アカデミー賞メイク部門で、日本人辻一弘さんが受賞した事で、楽しみにしていた『ウィンストン・チャーチル』でしたが、主演男優賞受賞のゲイリー・オールドマンが、姿形・声・話し方すべてにおいてチャーチル首相にそっくりで(良くは知りませんが)

映画『ダンケルク』を先に観ていたから、
就任からこのダンケルク迄の約1ヶ月(27日間)の葛藤と型破りな魅力 “ 異端児 ” に引き込まれた❤

朝からスコッチを飲み、奥さんに甘え支えられ、ノーベル文学賞を受賞する程の言葉の魔術士としての一人の人間としてのチャーチル。

初めて乗った鉄道での市民との交流がヒトラーから世界を救ったんだと。。
もう一度『ダンケルク』も観なきゃね♪

“ 逆Vサイン ” の意味、初めて知りました(>_<)

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』3/30(金)ロードショー