古代アテネには「正義の人」と呼ばれた政治家がいて、私腹を肥やす絶好の公職に就きながら公正に職責を全うし、このような高潔な人物がいたからこそ、2,500年を経た今でも栄光は色褪せないのです。またパルテノン神殿を完成させた人物も、公私に厳格過ぎて家族や友人がしだいに離れて行きましたし、奢侈と飽食のローマ帝国の最盛期にも、「平和」と称賛された皇帝がいました。

 ところが中華民族の皇帝は晩節を汚した人物が多く、老いて過ちを犯す前に身を引くという、「引き際の美学」が日本では生まれます。特にスポーツ界ではボロボロになるまで現役を続けず、余力を残して引退するのが王道とされました。

 起源は定かではありませんが、大正時代の第27代横綱栃木山は3場所連続優勝のまま引退し、同じように潔く引退した巨人の川上哲治を称賛しています。また弟子の横綱栃錦も初日から連敗すると潔く引退し、栃錦の薫陶を受けた北の湖も初日から連敗すると引退しています。

 長嶋茂雄は引退試合でもホームランを放っているし、王貞治もまだ30本も打っているのに引退しましたが、生涯打率を落とさないためともされています。藤田元司は実質的に3年連続優勝で勇退し、最近では秋山幸二監督が日本一のまま身を引いています。

 しかし安倍内閣以降に閣僚が不祥事でも辞任しなくなると、横綱も負けが込んでも引退しなくなります。社会への悪影響を自覚して潔く辞任し、生き恥をさらすべきではないでしょう。