80年代に「清く正しく美しく」という歌詞がありましたが、恋愛がタブーのアイドルも、聖人君子待望論の表れなのかもしれませんね。長嶋茂雄の引退や田中角栄の退陣で現実に失望したため、昭和50年代にアイドルという言葉が一般化したと考えられるのです。

 その証拠に土光敏夫や伊東正義などの聖人君子が80年代の終わりに出現すると、アイドルらしいアイドルは消滅するのです。そして政権交代による社会の変革に幻滅した90年代の終わりには、再び世間の関心がアイドルに向かったと考えられるのです。

 最近の政治改革機運の高まりと、去年のジャニーズや宝塚の不祥事は、既存の政治にも芸能にも失望し、本当に公正な社会を求め始めた、きざしであればよいですね。