建国記念の日は建国記念日とは違うと、学校で先生に力説された方も多いのではないかと思います。そもそも自然発生的な国家に、明確な始まりを決めることに無理があります。

 建国記念日が紀元前753年4月21日と、妙にはっきりしていたのが都市国家ローマで、神武天皇が即位した紀元前660年2月11日という発想も、ここからという気がします。その後ローマはキリスト教を国教にすると、天地創造以来何年という、とんでもない年号を使い始めます。

 永らく共和制が続いていたローマでは、カエサルが王のような態度を誇示して暗殺されたので、養子のオクタウィアヌスは友人のリウィウスに、ローマは初めから王に支配されていたと、ロムルスなどの架空の王を捏造し、自身の支配を正統化しようとしたと考えられ、紀元前753年4月21日という日付も友人のウァッロの発案です。

 神武天皇も事実上の初代天皇である天武天皇の創作と考えられ、それ以前は「おおきみ」と呼ばれていました。なお徳川家康が伊賀越えから関ヶ原の合戦で天下を取るのは、ほぼ同じコースで天下を取った天武天皇と同一視しようとする、秀忠のフィクションであることは以前指摘しました。

 しめ縄は神が降臨する場所を示す飾りで、人間の腰に巻くのは冒瀆でした。寺社奉行は前例がないと許可しなかったので、谷風に横綱を与えるために三人の架空の横綱を捏造したとされ、ローマの元老院がオクタウィアヌスに、アウグストゥスの称号を贈ったのに似ているのかもしれません。    

 アウグストゥスとは「あんたが大将」という意味で、血縁関係のないウェスパシアヌスがアウグストゥスと名乗ったため、皇帝という意味に変化します。またローマの建国がトロイアの落人と結び付けられるのは、古代ギリシャにも因果応報の考え方があったからで、マケドニアの支配がアルゴス人の怨念ならば、ローマの支配はトロイア人の復讐というわけです。

 要するに「建国記念の日」という表現なら何月何日でもよく、どうしても必要ならば、祝日のない6月か12月に変更してはいかがでしょうか(夏至や冬至の方が祝日にふさわしい)。