長文かつまとまらない話。
日本語がおかしくてもスルーで頼みます。
読みたくなければ回れ右で。
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8月8日。
父親の命日。
今年で16年。
父は公務員として下水道関係の部署で働いていた。
私が中1の時。
夏の終わりのある日、健康診断で再検査項目があったとかで病院に行っていた父。
学校から帰宅した時、居間で母親と話していた。
「『肺がん』って言われちゃった…」
その言葉を聞いた時頭が真っ白になった。
父はヘビースモーカーで私が物心ついたときから家の外で煙草を吸ってたのを覚えている。
いつだか聞いた話では、相当若い頃から煙草を吸っていたとか。
その後。手術で肺を(2/3くらい)切除し、
抗癌剤治療で大きな病院に通院したり、酸素吸入機が家に来たり…。
一時は状態がよくなり仕事に行ったりしていたけど、
何度も入退院を繰り返す度に弱っていく父。
抗癌剤治療の影響で髪が抜けてニット帽みたいなもの被っていた。
家族には言ってなかったけど、
父から貰うものを「これが最後の○○なのかなぁ…」と勝手に思ってたのは秘密の話。
当時の私はどこかで「助からないんだろう」と思ってしまっていた。
ある日、「医師に『この夏もつかどうか』と言われた」と母から伝えられた。
泣くまい、と歯を食いしばっていたけど涙が止まらなかった。
その翌日(だったはず)、
学校で担任兼部活(吹奏楽部)の顧問に父の話をした。
最初は普通に話していたはずが最後には泣いてた。
私の背中をさすりながら先生は静かに話を聞いてくれていた。
ちょうど夏のコンクールも近付いていて、地区大 会の追い込みで合宿やら1日練習やらやっていた。
まあ、私の学校は弱小校だったので上位大会なんて進めず地区大会止まり。
7月末にはコンクールも終わり、体育祭や秋の演奏会に向けて動き始めるところだった。
練習が終わるとその足で父がいる病院へ見舞いに行く、というのが自然になっていた。
父が亡くなる数日前。
私の住むところで花火大会があった。
その日は昼過ぎから夏休みの課題を持って病室でこなしたりしていた。
その夜、花火大会が始まった。
病室からは高く上がればギリギリ見えるレベルだったけど、音はよく聴こえた。
ケータイでムービー撮って見せながら父に話しかけた。
父は反応はあるけどかなり辛そうで、
音は聴こえていたはずだけど、花火なんか見えてなかったと思う。
面会時間が終わり「また明日来るね」と声をかけ病室をあとにした。
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深夜3時過ぎ、母に叩き起こされた。
「危篤状態だからすぐに病院に来てって」と言われた。
眠い目をこすりながら家族で病院へ向かった。
父に呼び掛けながら手を握った覚えはあるけどただただ泣いていて。
4:23死亡確認。
享年57。
それから放心状態のまま葬儀社に行って。
母方の伯父が近くに住んでいたので駆けつけてくれたこともあり、色々助けてもらってたっけ。
10時過ぎに自宅に帰りついてから友達(吹奏楽部の副部長)に「お父さん死んじゃった」と連絡した。
驚かせてしまったのは未だに申し訳ないと思っているけど、
当時の私はストレートに伝えることしかできなかった。
父が亡くなった翌日だか翌々日に担任が自宅に来た。
かなり心配してたみたいだけど泣くこともなく話せてたと思う。
そこから先はあんまり記憶がないけど、
父の兄弟がわんさか来たりして(父は8人きょうだいなので)、
ワイワイしつつも通夜から告別式まで滞りなく済んだ。
通夜には吹奏楽部の部員も来てくれた。
同パートの子(同級生)に口パクで何か言われて適当に頷いたけど、
後日「何て言ってたの?」と聞いてみたらものすごくド突かれたっけ。あれはゴメン。
なんとなく覚えていること。
火葬場の待合所で人数を数えてた時、誰もいなくなっていないのに何度数えても人数が合わなかったこと。
未だにあれは謎だけど、
父が遊んでいたんだろう、と家族で話がついた。
16年も経つと記憶が曖昧になることも多くて。
人生の半分以上父親がいないってなんか変な感じ。
強面な見た目で厳しいところもあったけど、
父がいなければ
私が生まれることもなかったし、
大学に通うこともできなかったと思う。
ここ数年、父が夢に出て来ることはないけど
どこかで見守ってくれていると信じてる。
…本当は結婚式でバージンロードを一緒に歩きたかったなあ。
相手すらいないので結婚なんてまだまだ出来ないだろうから無理な話なんですけどね(笑)
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これまでミ○シィやグ○ー、フ○イスブックでも
日記的なものを書いてきたけど、
家族のことをここまで書いたことはなかった。
学生時代から付き合いのある友人は
父が亡くなっていることを知っている人もいるけど
この話をしたことはないし、
どこかでこの話はしたいと思ってた。
最後まで見てくれていた人へ。
こんな駄文にお付き合い下さり、
ありがとうございました。