心臓の奥に意識を持っていく。
心臓の上の方に、アヨディヤーと呼ばれる、卵形の空間があるんだ。親指の第一関節の先っぽぐらいの大きさだ。その中に入る。
すると、自分という存在の周りに、直径3mぐらいの光の球があることに気が付く。
これをエゴの領域という。この範囲の中でものを見たり感じたり聞いたりしてるのだ。
これが自分の世界だと、思っている。辛いことや苦しいことがあったら、いつでもこの中に逃げ込むことが出来る。
人はこのエゴの領域から外を見る。エゴが清らかであれば、世界は真直ぐ、濁らず、ありのままに見えるだろう。しかし、エゴが汚れてくれば、世界もまた汚れる。幾多の転生を重ね、このエゴの領域をぴかぴかに磨き上げるのだ。ぐれない心、恐れない心、勇気の心、節度ある心などだ。しかし、ある時気が付くだろう。
この光の球の外はどうなっているんだろう?私は何者か?ってな。
どうやらこの光の球の、外には、果てしない世界が広がっているようだ。
この世界の事を考えてみようではないか。
安らかな気持ちで。柔らかな気持ちで。
エゴの外側は、共通意識の世界と呼ばれているのだ。
自分と他人の境の無い世界。自分が経験した事、記憶している事、知識や記憶。それはこの外に出ると、たちまち他人のものになる。同じように、他人が経験した事、見た事聞いた事、それも必要に応じて、あなたのものになる。すると人はこう思うだろう。
「一生懸命悪戦苦闘して得た、知識や才能や能力。それを簡単に人に明け渡してたまるものか。」
この気持ちを超えなくちゃいけない。
捨てろ。己を。
燃やせ。己を。
燃やした瞬間、自分という感覚が永遠に消えるかもしれぬ。
その瞬間自分はどこに行くのか?自分が消えて無くなれば、何が残るというのか?
肉体の死よりも怖い恐怖が、襲ってくるやもしれぬ。肉体は死んでも、魂は残ると思えるから、死を受け入れる事が出来た。しかしもし魂も死ぬとわかった時、これから先、愛する事も、気付く事も無くなると思った時、個体としてのエゴが、我々の心に恐怖感を作り出す。肉体を構成し、エーテル体やアストラル体を構成している要素即ちエレメントは、氾濫を起こす。そんなことはやめておけ、とな。
全体の為に捨てろ。燃やすのだ。
いいか。今日は導入部分だけ感じるんだ。
エゴが消え去る時の感覚だ。
溶ける。この光の中に。
その時私達は、こう祈るより他に無い。
「愛と理解。ただそれだけを求めます。」と。***
ついて参れ。その世界に。
怖がるな。私についてくるがよい。
無限の光。無限の喜び。無限の愛。無限の理解。 これだ。見ろ。世界の本質を。
無限の光。無限の喜び。無限の愛。無限の理解なのだ。
アーーーウーーームー
これは、永遠の過去より、永遠の未来に存在する光だ。
アーーーウーーーム
この中に、溶けよ。
そして自らが、神より分れし時を思い出すのだ。
アーーーウーーームー
アーーーウーーームー
アーーーウーーームー
真実に実在するもの この光だけなのだ。
物質は、あると見せかけているマーヤ、幻にすぎない。
全てを超えし、無限の喜びがこの中にあるのだ。
アーーーウーーーム
よし。再びコーザル体をまといたまえ。
3mの光球よ、元に戻れ。君はその中に座し、心臓を意識し、肉体を意識する。
ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐く。
ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐く。
よし、ゆっくり目を開ける。
アカシックレコード書記官