2011.07.21 最高の愛とは何か 魂の本当の役割
風の流れを感じて、そして、その中に、自分の体を委ねます。
すると、今まで、音を聞く事、物を見る事に注意を注いでいた神経が、自分の内側へと向います。
自分が感じている事、思っている事、向き合う事が出来ます。
それこそが、魂の旅の始まり。
かけがえのない、自分という意識。肉体が滅んだ後も、尚も、生き続けるであろう自分の意識。
今日は、この自分の魂と、向き合ってみたいと思います。
過去世や前世ではなく、自分の魂と向き合います。
人生という時の流れを超えた所にある自分。
その自分の中に入っていった時、人は真の安らぎを得ます。
自分が自分を許した時、あなたはあなたになる。
あなたがあなたになったとき、そのあなたは何者だろうか?
自分自身に、そっと微笑みかけてみる。
微笑もうとした時、本当のあなたが出てくる。
あなたがあなたに微笑んでいる。微笑んでいるのは、あなたが豊かであるから。
満ち足りているから。
自分が満ち足りている時、あなたはその満ち足りた感覚を、自分以外の人にも及ぼそうとする。
これを愛という。
この愛の感覚は、あなたが本当の自分に、繋がるための、エネルギーの形。
その同じ愛を、あなたの魂に注ごう。
愛があなたの中に溶け込み、あなたが愛の中に溶け込むのだ。
この愛の真髄に到達した時、人は最高の愛に到達する。
最高の愛とは何か?
それは、その人が本当になろうとしているものに、ならせてあげることが出来る力だ。
人は輪廻転生を通して、こうなろう、こうなろうと、自分をイメージし続ける。
自分を高め、そのものになろうとする。
故に真の愛の心の持ち主は、相手のその願いを知って、その欲求を満たせてやろうと考える。
人は、自分が本当にこうなりたいというものに、なれてこそ、永遠の喜びの中に浸る。
人は他人を見るのではなく、自分がなりたいと思うもののみ、懸命にそれのみを考えるべきである。
ところが世の中の人々は、自分にはその素質が無いとか、自分には能力が無いと言って、自己否定する。
あるいは、自分は能力に優れていると、思い上がる。
本当に必要なものは、能力ではないことを知らない。
自分がこうなりたいと思うもので、心を一杯に満たすだけでよいのに、人はすぐに、手段や能力に囚われる。
どうやったらなれますかとか、自分になれるでしょうかと聞くのはそのためだ。
夢をこのように扱ってはならない。
自分が心の底から本当になりたいと思うものは、ただもうそればかりを考えればよいのに、
それにはどうすればなれますかとか、自分はそれに匹敵する能力を持っているでしょうかと、
人はこのように囚われた質問をして、返って夢の実現を妨げてしまうものだ。
君よ。君の役割りに目覚めなさい。
その人が本当になりたがっているものを、ハートで感じなさい。
感じたら、ただもうその事だけを考えなさい。
そしてそれを相手に伝えなさい。
相手も、どうしたらなれるかとか、なれるでしょうかと聞く事は、
愚かな事だと教えてあげなさい。
菊の花は、種のうちから、自分の咲かせる花をイメージしている。
どうしたらそうなれるかとか、あるいは他の品種の薔薇とか、向日葵の事など考えている暇は無い。
彼らはただもう生きるのに懸命である。
生きるとは、自分が本当にこうなりたいと思うものに、ただもうまっしぐらに考えるだけ。
それ以外の、心を煩わす余計な心配事は無意味なのだ。
花ですら、菊は菊になる。コスモスはコスモスになる。
人間だけが、自分のなりたいものになれないのは、余計な事を考え過ぎるからだ。
花にも出来るのに、どうして人間に出来ないのか?
花は人間のように複雑に考えたりはしない。
余計な事を一切考えない。
自分に出来て、自分の心からそうなりたいと思うものだけを考える。
すると自然にそれが叶う。
人間が自分の夢を叶えるまで、宇宙の愛なる神は、その人間にずっとつきまとう。
その愛なる神は何を成すかというと、今私が話したように、
その人間が本当になりたいものをハートで知る。
そしてただもうそれだけを念じる。後の余計な事は一切しない。
なれるだろうかとか、なっていいものかなどとは考えない。
人間は複雑に頭を使い過ぎである。心は複雑に出来ていない。
君はこの世において、この愛の神の、働きを助けなさい。
相手がなりたいものを知ったなら、ただもうその事ばかりをイメージしてあげなさい。
相手の夢の実現をサポートしなさい。
そこに君の魂の本当の役割りというものがある。
複雑な事を考えさえしなければ、このダイナミックな愛の力は永久に持続する。
途中で、頭が複雑な事を考えるから、エネルギーを消耗し、
遂に自分の夢を実現出来ずに、人は一生を終えてしまう。
夢を実現するまでに、魂のエネルギーを使い果たしてしまうのだ。
魂のエネルギーを大切に使うことを教えてあげなさい。
心配や、悩みや不安で、浪費してはならないのだ。
君は、人が心に描いた夢の実現をサポートする役目を、果たす事が出来る。
出来ると思いなさい。そうすれば間違いなく出来るだろう。
出来るだろうか出来ないだろうかと考えたら、何も成す事は出来ない。
単純であればあるほど、心の力はダイナミックに働く。
夢は複雑に考えれば考えるほど実現しない。
これが、宇宙の愛の神が教える、成功哲学である。
あなたが人を見て、その人の心の願いを知り、それが実現出来ると信じた時、
あなたから愛の波動が相手に到達し、その人を包むだろう。
それを光と呼ぶ。
即ち神の御本質とは、愛と光である。
あなたの愛の光を、宇宙の万物万象に向けなさい。
動物、植物、鉱物、人間、人間以外の存在の一切。
続いてこの宇宙を、あなたの光で包みなさい。
宇宙は愛なり。宇宙は光なり。
宇宙は愛なり。宇宙は光なり。
この充満する愛の、洪水にも似た、溢れる愛を見、感じなさい。
そしてその歓びがあなたを打ち、あなたを満たし、宇宙を満たすようにしなさい。
あなたがこの愛の光の中に、自らを見出す時、人の子は天に上げられる。
そうだ。かつてマタイが、キリストの中に見たようにだ。
このような思いで、マタイ伝第六章は書かれている。
君は、キリストによって天に上げられ、雪のように白くなりなさい。
創造の御業が、いまだ働いている霊界の、高い境地にまで、自らを上げるのだ。
見よ。ありとあらゆる善き考え、善きアイデアが、
泉の如く次から次へと生まれ出ずる、創造の霊界の真の姿を。
こうして人々は、この創造の力とひとつになった時、最早、
自分自身が何かを創造して、人々に自己顕示する必要性は無くなる。
むしろ自らは、舞台裏に回って、人々の魂の成長と進化を、助ける役目にまわるだろう。
人を育てる事、人を引き出す事の中により多くの歓びを感ずるようになるだろう。
神が今もなお、見えざる霊界の高みにおいて、時々刻々と創造を続け給うものは、
その姿を、心の目で見よ。
神よ。私は、あなたが霊界の高みにおいて、いまだ創造の御手を、
お休めになっていないことを知っています。
二十一世紀。人類は神の御本質が、この創造である事を知る。
君はいち早くその霊界に行って、その真の姿を見るのだ。
神は無限の創造である。
この宇宙を超えた未知のところで、神は今また新たに宇宙を創り給う。
おお、創造の神よ。あなたの創造の歓びが感じられますように。