4/29(月) アントニン・レーモンド 軽井沢夏の家 | かるたら日記   since December 29, 2005

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taraと柴犬の軽井沢日記です。
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そんな感じでやってます。

2024年04月29日(月)昭和の日 晴のち曇

【軽井沢】最高気温 22.1℃ / 最低気温 8.6℃

 

ペイネ美術館が見えてきました。

以前、レイモン・ペイネ(1908年-1999年)の帽子を被った男性と女性のカップルが描かれた作品を見た時は「ふ~ん」という感慨しかなかったので、今回は中は見ず、建物だけ眺めて終了。

レイモン・ペイネの作品って、小学生の頃使っていたマグネット付きの筆箱(←決してペンケースと言わないところが昭和)に描かれていた水森亜土のイラストのイメージと被るので懐かしい感じはします。

 

軽井沢 夏の家 アントニン・レーモンド(1888~1976) 2023年に国の重要文化財に指定

『この建物は、昭和8年(1933)軽井沢町南ヶ丘1052に、チェコスロバキ生まれの著名建築家アントニン・レーモンドの設計により、自身のための別荘、兼アトリエとして建てられました。

レーモンドは、聖パウロ教会をはじめ軽井沢に多くの別荘建築を残しました。

日本建築史上貴重な遺産を残す目的で所有者”日本火災海上保険株式会社”より」寄贈を受け、ここに移築復元するものです。

昭和61年7月』

 

ペイネ美術館として使われている「軽井沢 夏の家」を設計した「アントニン・レーモンド」と「レイモン・ペイネ」は名前が似ていて、混乱するわ・・・(って、どうでも良いけど)

アントニン・レーモンド(1888年 - 1976年)は1919年、帝国ホテル設計施工の助手としてフランク・ロイド・ライトと共に来日。
独立後、エリスマン邸、イタリア大使館中禅寺保養所、軽井沢聖パウロカトリック教会、東京女子大学礼拝堂、不二家横浜センター店(老朽化と耐震性の為、2023年に閉鎖。建て替え計画あり)他を設計。
第二次世界大戦の際、アメリカはユタ州の砂漠に東京下町の木造家屋の続く街並みを再現した日本村を作って、焼夷弾の効果を検証する実験い、東京大空襲などで生かした。

その日本家屋の設計をしたのもレーモンドだった・・・叫びガーンドクロガーン叫び

 

 
 
※下見板張り(したみいたばり):板等の上下がお互いに少しずつ重なり合うように、横方向に張ること。 
 
この鎧窓のある部屋は何に使われていたのだろう?
間取り図を見ると寝室として使われた和室で、これは鎧窓付きの雨戸なのかな。
 
 
建物裏側に、ペイネの「恋人たちの像」がありました。
前に来たときは気がつかなかったな。
 
二人の愛情が感じられて良い感じの像じゃないですか。
 
この像は泥川に面しています。
(いつも思うのですが、なんで「泥川」なんて風情のない名前を付けたんですかね。)
 
泥川、上流側
 
泥川下流側
対岸にはガーデンハウスがあって、花が咲き誇り、メルヘンの世界みたい。
こんな素敵な風景があるなんて知らなかった。
それで、川の名前が「泥川」では夢がなくなるわ~。
 
(つづく)