テンジン | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 「テンジン」と聞いてどんな人の名前か思い出せますか。「テンジンとヒラリー」なら思い出せるでしょうか。1953年彼等は世界の英雄でした。ヒラリーは「なぜならそこに山があるから」と答えた人、テンジンはシェルパの存在を世界に知らしめた人。今年は彼等のエベレスト初登頂50周年だそうです。「テンジン、エベレスト登頂とシェルパ英雄伝」という興味深い本を読みました。著者は、かのテンジンの孫です。


 15世紀ころチベットの封建領主の圧制をのがれヒマラヤの峠を越えてエベレストの南麓に住みつき、三千メートルから五千メートルの高地でヤクを飼い段々畑でジャガイモや小麦を栽培し、厳しくも静かに暮らしていたシェルパという民族(シェルパが民族名ということも知りませんでした)が、たまたま彼等の住まいが世界の最高峰に一番近い場所に位置していたために全く変わってしまったシェルパの社会。それまで「荷物運び」としか見られていなかったシェルパの地位を欧米の登山家とおなじ地位にまで引き上げていった、彼等の努力と高地に順応する能力。テンジン自身7度目の挑戦で初めて世界の最高峰に文字通り登りつめた冒険物語と、その後の栄光と挫折。久しぶりに面白い本に出会いました。


 6月14日の京都新聞には「エベレスト初登頂50周年、各国隊続々チャレンジ」という記事と三浦雄一郎さんの写真が大きく出ていました。読んで見ると改めてエベレスト銀座ぶりがよく分かります、想像以上でした。今年の第一号は日本のイエティ同人隊が5月20日にチベット側から登りました。70才の三浦さんが最高齢登頂を果たした22日には日本の東農大隊がチベット側から、シェルパの3人の姉弟妹が中国側から登っています。そのうちのミンキパという少女は15才の最年少記録だそうです。三浦さんはまた日本人初の親子登頂だそうですが、前日21日には米国の54才と20才の親子登頂もあったそうです。
 

 23日になると隻腕の米国人ゲーリー・ガラーと、五輪ノルディックスキーの女子金メダリストイタリアのマヌエラ・ディツェンタ。スピード記録ではネパール人シェルパ、ペンバ・ドルジェが22日から23日にかけ南東稜のベースキャンプ頂上を12時間45分で登り切る最速記録を、ところが3日後の26日おなじシェルパのラクパ・ゲルが同コースを10時間56分で踏破し10度目の頂上に、という賑やかさ。最多登頂者としては26日に米国隊をガイドしたシェルパのアパが13度目だそうです。そのセリフが「ガイドは唯一高収入の仕事。記録じゃない。」


 50年前まで第三の極地として多くの登山家の命を奪った聖地の面影はこの記事から知る限り見られない。ごく限られた登山家が自らの技術と経験と名誉と命をかけて登った山は今70才の老人と15才の少女が同日に上れる山になっていました。


 興味深かったのは、この本「テンジン」の序でダライ・ラマ法皇が述べている・・・・・「チベットでは、『高山は神々の住まい』と信じられている。それゆえに、多くの人々が山麓に参詣のためにやってくる。事実、これらの山々を守る神々に対する畏敬の念からか、チベット住民の大部分は、周囲の山々の頂きに挑戦しようという意欲を示さない。しかしながら、それにはもっと現実的な理由もあると私は思っている。チベットの住民の大部分はふだん非常に頻繁に山道を登らなければならないので、必要以上に高い山に登りたいとは思わないのである。」・・・・・という言葉と著者タシ・テンジンが文中で・・・・・「この種の『遠征』はわれわれシェルパの社会にはきわめて疎遠なものであった。それは無謀であり、かつ無意味であった。しかしながら、次第にヒマラヤ遠征はわれわれの世界を包み、不可逆的な変化をもたらした。その効果はプラスでもありマイナスでもあった。孤立と生きるか死ぬかの境界線で暮らしていた昔の生活は疑いもなくきびしいものだったが、西洋人たちやエベレスト遠征のもたらした種々の機会は、想像を絶するほどの富と豊かさを、高い標高を誇る、未開のこの渓谷に注入した。かって病気や飢饉で家族や隣人をたびたび失っていたこの地に、我々は今日、すばらしい診療所、学校、食糧品店を持つ。しかしながら、このような変化以前に、我々がきわめて真剣に保持していたもの、つまり根深くしみこんだ伝統、独特の文化、そしてこれらをすべて一緒に結びつけてきた(古い)家族や社会構造が、新世界の侵入によって、今日もろくなり次第に崩壊しつつある。・・・・・」しかし彼は続いて「しかしながらわれわれシェルパたちはタフな民族である。我々は(環境の変化に)うまく、そして素早く順応する。我々は、自分の文化や古代からの価値観をそこなうことなく、かわりつつある周囲の環境のなかで生き残りうるだろうことを、私は確信している。」・・・・・と述べています。


 西洋近代が20世紀のアジアにもたらしたプラスとマイナスを端的に表現しているように思います。私たちも豊かさと便利さの変わりに失ったもの、失いつつあるものは数知れません。テンジンの孫たちに負けずに、我々が真剣に保持してきた伝統、文化、家族や社会構造を見直す時かも知れません。