今日庵と大徳寺三門 | 行雲流水 ~所長の雑感~

行雲流水 ~所長の雑感~

松田進税理士事務所 所長の松田が日々思うことを思うままに綴った雑記帳

 表からはしょっちゅう目にしながら、その内部を窺うことはかなり難しい。と言って何が何でも伝手を頼って、是非拝見、もしくは拝観せねばならぬものでもなし。私にとってなんと無く悩ましい建造物がありました。それが裏千家今日庵と大徳寺三門でした。大徳寺は真珠庵、大仙院など塔頭には何かと拝観の機会もあり、大慈院の和尚さんには中小企業家同友会のお茶事同好会などでお世話になっており、私にとってポピュラーなお寺ですが、朱塗りの三門だけは横目で通り過ぎる存在でした。今日庵は自宅とは徒歩数分、バス停より遙かに近い毎日の散歩道です。檜皮葺の兜門は毎日ほど目にするものの、中は横目で玄関に通じる露地がちらりと見えるだけでした。


 10月16日両方とも行って来ました、見てきました。近畿税理士会40周年記念事業の一環に、今日庵と大徳寺三門の見学がなんとセットで企画されました。厚生委員のお話によると、両所とも見学は大変制限されていて、まして大人数の申し込みはまず無理だったそうです。実現出来たのは、さすがは税理士会と言うところでしょうか。以下は報告です。



 まず今日庵。これほど予想通りというか、イメージ通りというか、期待を裏切らない建物も数少ないのではないでしょうか。兜門をくぐり、露地から大玄関をすぎ「無色軒」でしばし休みます。税理士仲間とは言え見知らぬ人がほとんどと、お茶会への緊張からか一同無口のまま、時間が流れて行きます。間もなく、若いお茶人さんのご案内でまず「御祖堂」(利休と三代宗旦を祀るところ)の前で合掌したあと隣の「咄々斎」でお話を伺います。この部屋の床柱と格天井は八代又玄斎手植えの五葉松の古材で出来ているそうで、床柱の見事な艶に百年を越す代々の丹精が表れていました。なにげなく利休が秀吉から拝領したという銅鑼がつってありました。ややうち解けたところで「抛筌斎」でお茶会が始まりました。一瞬お茶の決めごとが脳裏を走り一同不安そうにお互いを見合わしていますが、先生の方が慣れたもので次々とお茶をたて、床の間のしつらえからお茶道具に至るまで次々とご説明していただき、無事裏千家でのお茶を喫することが出来ました。


 そのあと「腰掛待合」「中門」「梅の井」などを見学したあと「寒雲亭」に落ち着きました。「寒雲亭」には狩野探幽の八仙人の手違いの襖が有名だそうで、現在もそのまま使われています。梅の井の水は現在も使われていて、今日庵のなかには水道が引かれていないそうです。わびさびの本家を駆け足でかいま見た訳ですが、全てが、見物するだけの古文家財ではなくて三代宗旦から当代(16代)挫忘斎宗室まで三百年の間、日常大勢の人が生活し、精進している生きた建造物で有ることに深い感銘を受けました。


 続いて「大徳寺三門」。急な階段を上りきり二階の朱塗りのお堂にたどり着くと一同有名な「利休の雪駄履き」の像に群がりました。和尚さんの、まず仏様にお参りしてくださいとの言葉にわれに帰り、釈迦三尊と十六羅漢に礼拝したあと、ゆっくり堂内を見学しました。天井の中央には意外に間近く長谷川等伯の龍、左右には天女と迦陵頻伽が色鮮やかに描かれています。禅寺の龍はおおむね高く、遠くくすんで見えるのが多いようですが、ここの龍と天女は天井が低いせいもあって間近に金、銀、緑、赤、白、黒と色彩がせまってきます。とても三百年の年月を経た絵とは思えない瑞々しさでした。有名な利休像は薄暗いお厨子の中でぎろりと目を光らせていました。秀吉により三条河原で磔にされた像は船岡山に埋葬され今ある像は後に寄進されたものだそうですが、頭部に天正の年号が刻まれているので当時のものであるのは間違いないそうです。振り返って欄干から京都市内を見回すと東山から南の市内、西は船岡山がぐるりと見回せます。高い建物の無い当時なら京都市内が一望出来たでしょう。


 ともあれ駆け足では有りましたが、懸案の二カ所を見ることが出来て幸せな一日ででした。それにしても京都の有名な建造物が過去の遺物ではなく今日まで連綿と生き続け、今後も活動し続けていることに又新しい感動を覚えました。