「自由と繁栄の弧の意味するもの・東アジア情勢と日米同盟」と題する講演会が10月11日グランヴィアホテルでありました。講師は「手嶋龍一」。覚えていらっしゃいますか。9・11テロのときのNHKワシントン支局長、連日テレビ中継を行っていました。
さて講演の中身は中東から東アジアへかけての現在の不安定の弧が、本当に自由と繁栄の弧になりうるかどうか。彼のインテリジェンス・情報力を駆使した印象深いものではありました。今、日本が直面している「北朝鮮の有事」に目が行きがちですが、実はいずれ避けては通れない「台湾海峡の有事」の前哨戦にすぎないとの指摘は、厳しいものがありました。司会の京都銀行の林隆憲さんが、手嶋さんの著書「ウルトラ・ダラー」の終章は福王子交差点から平岡八幡宮をすぎ、周山街道を経て中川トンネルをすぎたところで終わる、と紹介されました。グローバルな小説に、まさにローカル、おなじみの地名に妙に気をそそられて早速買って読み通しました。非常に面白く、かつ戦慄を覚えました。
「バンコ・デルタ・アジア」。この名も今ほとんど報道されません。ご記憶ですか。「北朝鮮のマネーロンダリングに疑いがある金融機関」に指定され、事実上の金融制裁を受け、一時は米国、北朝鮮、中国が三つ巴になって駆け引きを繰り広げ、連日報道されていましたが。その主役の偽札は「スーパーノート」と言われる北朝鮮製の精巧なものでした。そして小説に登場する「ウルトラ・ダラー」は、スーパーノートを上回る精巧なもの。シリアルナンバー(通し番号)以外はまったく一緒、違いは米国製か北朝鮮製かと言われる、超精密な偽札です。小説「ウルトラ・ダラー」は、次の四つの事件から全貌を類推してゆきます。
(1)1968年12月14日、日本全国の郵便局で使うスタンプを彫刻する、東京荒川の優秀な彫刻職人、濱道勝夫が失踪します。そして同じ頃、エジリ・ヤスノブ、コンドウ・マサル、ハマミチ・カツオ、マキノ・ツトム、テラオ・ススム、キタムラ・ユウジ、エンドウ・カズトシの若い優秀な7人の印刷工が北に拉致された可能性をアメリカのトップシークレットが把握していたことが明らかにされます。
(2)1988年7月1日マサチューセッツ州ダルトン、アメリカ造幣局に紙幣の用紙を独占的に供給していた名門企業、ノートン社からトラック3台分の紙幣の原料が盗み出されます。
(3)1989年2月スイス・ローザンヌ、 ドルとマルクの紙幣印刷機を独占する、ファブリ社からマカオの証券印刷会社へ1台の紙幣印刷機が輸出されたが、屑鉄に偽装されて中国・大連港に運ばれます。(4)1990年12月デンマーク・コペンハーゲン、京都の高級美術印刷会社社長、細田義弘が行方不明となります。
30年をかけて(拉致を含め)周到に準備された国家の事業としての偽札づくりの目的は、核開発とウクライナ製の巡航ミサイルX55の購入。X55はわれわれにとってポピュラーなアメリカの巡航ミサイルトマホークの純粋なコピー、200キロトンの核弾頭を搭載可能、北朝鮮から発射すれば沖縄米軍基地をふくむ日本列島が射程距離。北朝鮮が核を持ち、日本列島を射程下におく真の目的は何か。これが今回の講演とこの本の主題でした。
「台湾」はそこに居住している人々は勿論のこと、米国にとっても中国にとってもその去就は死活問題になります。米国が中東に釘付けにされ台湾海峡のプレゼンスが薄れパワーバランスが崩れたとき、台湾や米国が世界第3位と言われる軍事力を持つ日本の力を計算に入れるのは当然。日本が好むと好まざるに関わらず、世界のバランスオブパワーに引きずり込まれる可能性は否定できません。それを牽制するために30年以上の時間を掛けて仕組まれ、なお現在もやむことなく続く、これが情報戦、外交戦の実態です。拉致、偽札、核、ミサイル、6ケ国協議。一見別々のように見えるここ2、3年われわれを悩ましてきた問題がただひとつ「台湾海峡クライシス」に収斂してゆきます。
さて、登場人物です。主役はスティブン・ブラッドレイー、BBC(英国放送協会)のラジオ特派員にして実はかの007の英国秘密情報部員。もう一人はマイケル・コリンズ、アメリカ財務省のシークレットサービスの捜査官。シークレットサービスは大統領の警護部隊として有名ですが、紙幣の偽造や新手のハッカーなどに凄腕を発揮しているそうです。時には国境や法の制約を越えグレイゾーンに踏み込んで活動している実態は、CIAとかわりないそうです。一方日本側は高遠希恵・外交担当内閣官房副長官、離婚して大学生の息子を持つ、容姿、才能とも英米の両者にひけを取らない才媛。もう一人は瀧澤勲アジア大洋州局長、まれな才能と能力に恵まれながら自らの出自と正義感ゆえに「北」に取り込まれてゆきます。
国民に対し国家が秘密をもつことを必ずしも良しとはしません。しかし小説でさえ官房副長官や外交局長という公の人物しか登場させられない日本。外交のトップをも諜報戦から守れない、または事前に防げない現状を著者は訴えたかったのかも知れません。たぶん日本の優秀な (!)若手の政治家と官僚はことあることを想定して、水面下で行動していると信じたいですが、インド洋の油の消費量が国会の議論の焦点なのは情けないことです。