【ベルサイユのばら50】を東京千秋楽に観劇してまいりました。



なんたって、 昭和49年の初演の東京公演が私の宝塚デビューです。感慨もひとしお。

もう50年前なのね!!ひー恐ろしい…!!

母が『あの時連れて行かなきゃ良かった。』と何度も言うほど宝塚にはまったのはベルばらがきっかけで原因です。


左が 今回のプログラム。
右は家にあった50年前に買ったプログラム。見すぎてぼろぼろ。
初演は一本立てではなくて、 真帆しぶきさん主演のショーと二本立てでしたっけ。 

東京宝塚劇場の2階席後ろのC席を、 父が仕事帰りに買ってきてくれたそうです。
この頃は観劇数日前でも余裕でチケットが買えたんですよね。 まだベルばらブーム前のことです。

C席は銀橋がほとんど見えない席でしたが、 小学生の私は初めての宝塚で前のめりになっていました。
マリー・アントワネットの初風さんが豪華なわっかのドレスで大セリに乗って朗々と歌う♪青きドナウにノックアウトされました。

その後NHKで安奈淳さんのオスカルを見たことが決定打となり宝塚沼にどっぷり。
ビデオが各家庭になかった時代。ラジカセをテレビの前に置いて録音。『お父さん、しゃべっちゃだめ!』といろんな雑音
入りまくりのテレビから録音したカセットを当時擦り切れるほど聞きました。

♪愛あればこそを聞き覚えで歌っていましたが、♪あいうえに人は美し〜と歌っていたところ、母から『あいうえじゃなくて愛ゆえによ』と言われたことを鮮明に思い出します。【愛ゆえ】なんて言葉を知るよしもない小学生でした。


次に生のベルばらを観たのは、鳳蘭さんの星組でした。
もうこの頃になると、チケットは全然手に入らなくなっていました。たまたま父がホテルに勤務していたので、そのホテルの観劇&宿泊プランのチケットを手配してもらってなんとか観ることができました。
お父さんありがとう!でしたね。

昭和のベルばら世代の私にとって、 今回の公演は懐かしいとそんなに簡単に言えるようなものじゃない特別なもの。
感慨深いとか、どの言葉を当てはめても違う感じがします。

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知らない歌もありましたが、ほぼほぼ聞き慣れた歌ばかり。
安奈淳さんの『愛の巡礼』で涙腺が崩壊したあとは、ずーっと涙涙でした。

涼風真世さんの『我が名はオスカル』の力強いこと…。歌声が当時と全く変わらないのが素晴らしい!
当時涼風さんのオスカルの軍服がピンクと水色!でなんと斬新な!でした。 涼風さんによくお似合いでした。
涼風オスカルを見てあまりの切なさにご飯が食べられなくなり、1週間で3キロ痩せたこともありましたっけ…。

凰稀かなめさんのオスカルが大好きで(女優さんになっても大好きは現在進行形)、かなめさんのオスカルを見たときは

『かなめさんは実写版のオスカルだ!!』

と思いましたよね〜。

外見だけではなく中身もオスカルが乗り移ったかのようなかなめさんのオスカル。

今宵一夜の女っぽさには見ている方も恥じらいが…。アンドレが惚れるのも無理はない。

『シトワイヤン、 ゆこう〜!!』の力強さったら…。ええ、ええ、見ていても一緒にバスティーユで戦ってる気満々になります。

かなめさんが 宝塚でオスカルを演じられたのは10年前ですが、今も当時と変わらないスリムなスタイル。素敵です!

オスカルの軍服と金髪がこれほど似合う方はいらっしゃらないと改めて惚れ惚れしました。惚れ直しーー!!


公演の最後の方に、ご逝去された方々のお写真が投影されたのですが、峰ちゃん(峰さを理さん)の小公子の写真が出てきた時には号泣でした。峰ちゃん、ベルばらⅢでは小公子を演じられていて、確か新人公演は主演のフェルゼンをされたのではなかったかな?

峰ちゃんに出演してもらって『ばらのスーベニール』を歌ってほしかった…。


東京公演だけ初代マリー・アントワネットの初風諄さんがご出演されました。

もうね、彼女のばぼーんとしたアントワネットに惚れましたので、青きドナウを生で聞けて本当に本当に嬉しかった!

しかもカデンツァつき!!そこからの愛あればこその歌でフィナーレにつながったと記憶しています。


私は初演からのつよ〜い深〜い思い入れがあるのですが、割と新しい宝塚ファンの隣で見ていた友達とは思いを共有できません。仕方ないですね。

人それぞれのベルサイユのばらです。


今年は雪組で公演されますね。

なんとか観に行けますように!!


♪ああ 愛あればこそ

    世界は一つ愛ゆえにひとは美し♪