徒花、散る。 | 音の破片

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音楽(ライブ)好き人間の、右脳的ブログ。

舞台『刀剣乱舞』 綺伝 いくさ世の徒花へ。

今回は2公演、見させていただきました。

 

あ、

 

ネタバレしますよ。

する気満々ですよ。

ですので、これから見る方は、スルーしていってくださいね。

 

 

 

 
 
明治座って初めて来ました。
まあ、基本、音楽のライブばっか行くヒトですので、舞台とか見る人たちにとってはここは普通なんでしょうかね。
我々からすると、ZEPPみたいなもんですかね?(違)
座席ふっかふか。
さらに座布団つき。
しかし、こんなにもお尻に優しい座席なのにワタクシこのふっかふかに慣れず何故かお尻痛くなる。なんでだw
 
都会のビル街から急にこの赤看板が出てくる感じ。
当然、迷ったわー。
 
 
はい。
 
 
というわけで、すっかり刀ステにはまりまして。
今回も参戦いたした次第です。
 
 今回は、以前科白劇だった綺伝が通常の舞台に。
流れは大きく変わってる気はしなかったかなー。
もっと結末がガラッと変わるかと思ったけど。
 
ガラシャと細川忠興の物語。
歴史上でも有名ですので、多くは説明しませんが。
 
父が織田信長に信頼されていた、細川忠興。
父の友人でもあった明智光秀の娘、ガラシャ(たま)。
2人はとっても仲の良い夫婦だったという。
 
それを歴史が引き裂いた。
一夜にして謀反人の娘となり、幸せな家から追い出され、幽閉されることになる。
忠興の友人、高山右近がキリスト教の教えを忠興がガラシャに話したことからガラシャはキリスト教の教えに目覚め、洗礼を受け、ガラシャと名乗るようになる。
 
明日をも知れない自分の運命、身体が弱かったという子供への心配。そして愛する人からの離縁。幽閉。
心に多くの重荷を一気に背負わされ、宗教に救いを求めたのだろう。
 
今回の物語の中心は、細川家の刀である古今伝授の太刀、地蔵行平、そして歌仙兼定。
ゲーム内のイベントである特命調査「慶長熊本」を基に繰り広げられる。
ので、セリフもゲーム内の言い回しがそのまま出てくる。
マジでゲームの中にいる感覚。
イベント開始時の通信の画像もリアル、っていうか、もう本物だよねこれww
 
この慶長熊本の舞台はすでに「放棄された世界」、つまり円環のなかで何度も同じことが繰り返されている、という設定。
以前の科白劇に「出陣」した歌仙たちも、この円環のなかにいた、ということだね。
 
どの円環でも地蔵がガラシャを連れ去り、助けようとする。
 
そういえば今回短刀がいないんだよね。
闇通に行くってのに、こんな夜目がきかないパーティーで大丈夫なのか!!とか思いましたww
 
キリスト教弾圧から逃れるために、ガラシャを救うために円環を何度も行き来する、キリシタン大名たち。
今回の歴史改変の目的は、「キリスト教で世界征服!」とかそういうのではなく、
ただ、ガラシャを救いたいという人たちの思いであり、キリスト教弾圧によって失われた多くの命を救いたいという願い。
 
「戦の世は多くの血と、それと同じだけの憎しみを生んだ。だから儂は誰もが産まれてよかったと思えるように(改変)したかった」
という大友宗麟の言葉に、まさに今起こっている紛争と重ね合わせ、涙が出た。
 
本能寺の変さえ起こらなければ、ガラシャは、忠興と子供達と、ただ、穏やかに、幸せに生きていられたのかも知れない。
しかしその願いは、刀剣男士にとっては許されない事である。
全てを史実通りに。
その「本能」のもとに彼らは存在するからである。
 
個人的に、
大友宗麟たちと黒田官兵衛(ここでは考高)と山姥切長義、亀甲定宗の「調停会談」は興味深かった。
この歴史の至る所を改変しようとする黒田考高が、刀剣男士に向かって言う「おまえ達は審神者の傀儡に過ぎないではないか」という言葉に、長義がものすごい怒るんだよね。
とはいえ、怒鳴り散らすわけではなく、静かに、しかし明らかに怒っている。

長義は政府の刀としてみんなよりもちょっと遅めに本丸の一員になったわけで、当時(慈伝)は、本丸の仲間とも全然馴染めなかった。
もともとがクールで俯瞰的な性質なのだけれど、ここで審神者を侮辱した黒田に対して怒りをあらわにするのが、ちょっとキュンときたww
そのあとも、「俺たちの本丸」とか、「政府に利用価値があるということを思い知らせてやる!」っていきり立ってるところとかね、
そっかー、長義もすっかり本丸に馴染めたんだね!
もうりっぱな本丸の一員だね!ってw 思いました。
 
史実では、キリスト教にはまった後のガラシャと忠興は憎み合っていたとも言われている。
鬼のような忠興と、蛇のようなガラシャ。
穏やかだった頃とは想像がつかなかっただろう。
その頃の刀だった、歌仙兼定。
人の形となり、心を持つ刀剣男士となった今、愛する2人が憎み合う姿を見て思うことは何だろう。
 
元主の愛したガラシャが歴史改変の核であることはすなわち、ガラシャを倒さねばならないわけで。
さすがに初期刀、古株だけあって、地蔵行平のようにその場の衝動に心を乱されるようなことはないのだけれど、
やはり最後、ガラシャと対峙したときは躊躇が見られた。
それでも、今の主の命を優先し、歴史を守る姿は全さにわが頼りにしている姿そのものでした。
 
いやー、
それにしても歌仙、つよいつよい。
ゲームのほうでもかなりのゴリラ扱い(←)ですが、この刀ステでも、かなりのレベリングをこなしてきた感はありました。
 
「私が蛇であったのか、花であったのか、確かめなければなりません」
 
ガラシャの言葉には、史実と物語が混在している様子がうかがえる。
しかし、ガラシャの辞世の句のなんと美しいことよ。
自分がこれから死ぬという時にこんなに美しい歌が詠めるものだろうか。
私は、ガラシャは蛇などではなく、才色兼備の美しい花であったと思っている。
 
戦で多くの命が失われた。
ガラシャのように素晴らしい才能を持った人でさえも。
歴史的な建造物、書物、それに刀だって。
みんな戦の炎が燃やし尽くした。
 
それでも、この現代までガラシャの美しい句は語り継がれている。
句には、詠む人の心が表れている。
嬉しい、
愛おしい、
哀しい。
日ごとに移り変わるその心情の一瞬を切り取った、曖昧で、儚い句歌が現在にまで残っているというのがとても不思議で、とても美しいことだなあと思う。
 
そして今だって。
戦の炎はなにも生み出しやしない。
壊すだけだ。
美しい風景を、人を、心を壊し、ただ燃やすだけの戦がこれ以上あってはならないと強く思っている。
 
 
あ。
忘れてた。
山姥切国広のこと。
本丸に帰ってこない、山姥切。
一番気にしている長義だけが気づいた、偽物の(朧なる)山姥切。
偽物の山姥切が共にいたのは、黒田考高だった。
そして、信長の姿も。
最終決戦は近いのだろう。
黒田考高の言う「三日月宗近を救う」、とは一体。
 
ちょうどゲームのほうも、本丸襲撃イベントで三日月が大変重要な事を言っていた。
舞台とゲームが連動しているのは、分かってるのだが、むむむ。
不穏すぎるな・・・ww
 
天伝で、大千鳥が、「どこの本丸の三日月宗近も勝手だ」と言ってたのを思い出しましたw
 
「せめて正史に生きる人々が、戦なき世で生きて、死んでいけるように祈ろう。」
大友宗麟の言葉はまさに、会場の人々と同じ願いであったと思う。

美しい徒花の散り際に、愛を見た。
それは、この時代でも何ら変わらない、普遍的で、大きな、愛であった。