私はこれまでに、
「強いね!」
そう言われることがよくありました。
そして今日、
「強くなったなぁ…」
20年前にお世話になった先生がポツリ…。
私って、成長したんだよね…
そう心で感じながら、この20年を振り返りつつ
痛みを堪えながら帰宅…。
Facebokでは、日々の状況を綴っていますが、
ブログではお伝えしていませんでした。
実はいま、日常生活に支障をきたすようになり、
お薬を使うことを選択し、
強い痛み止めを使っています。
この近況はあらためて綴らせていただくとして、
今日の「強くなったなぁ…」
その前の会話で、
「大丈夫?山越えて帰れる?」
という先生に、
「しょうがないじゃん…」
「これまでも一人で何とかしてきたし…」
という流れがありました。
ついこぼした私の本音…。
医療の中で患者として40年、
正直なところ辛い思い出ばかり…
と表現してしまうほど、
辛い体験が多いのですが、
「あなたの場合、今の医学ではどうしようもない…」
「一生、寝たり起きたりで、入退院の繰り返し」
「もう仕事はできないでしょう」
そう言われ、医療に見捨てられた思いだった…
というか、実際に入院しているのに
何も術がなく、放っておかれたり、
強制的に退院させられたり、
何度となく生きる気力を失った。
でも、
生きる
という選択をした以上、
一人で何とかしてしのいできた…。
寝たきりで入院しているとき、
自分でトイレに行くこともできず、
食事も寝返りもできないとき、
病院の都合で退院しなくてはならなくなり、
担当の看護師さんは、
保健師さんや介護が利用できるように福祉と連絡をとってくださった。
しかし、
グレーゾーンの患者にはそのような制度を利用できるシステムはなく、
若いから…
という理由で何の福祉制度も利用できず、
ストレッチャーで運び出され、
介護タクシーで寝たまま一人家に帰された。
最後の砦である生活保護を受けることができていたことは
唯一の救いではあったが、
だからと言って、
トイレに行くことができなくても、
食事の支度ができなくても、
着替えができなくても、
一人ベッドの上で生きていなくてはならなかった現実。
入院していてもそうだけど、
全身の激痛を分かち合うことができる相手はいなくて、
一人で耐えるしかなかった。
そして、生きるために
決死の覚悟で社会復帰しても、
自問自答しながら、
孤独を味わいながら、
生きる
という選択を全うするために
強さが身についてきたのだと思う…。
何をもって、
「強いよね」とか「強くなったね」
そう言われているのかはわからないけれど、
その強さがなかったなら、
いま私はここにはいないだろう…。
正直、
体のことに関しては、
今もなお孤独を感じることもある。
あえて孤独と表現するからよくない印象が強くなるけど、
じっくりと自分と向き合うことができ、
語り合うことができる。
ここ最近の体の状況のおかげで、
いろいろと発見もできた!
孤独って、
味わい深い!
そんなことを感じた今日の出来事でした。