10日から放送になった
37歳で医者になった僕 ~ 研修医純情物語 ~
このドラマを拝見していて、
勝手にレポートを綴りたくなり、
視聴しての感想、医療者に対して、患者の立場の方々に
メッセージを綴りたいと感じました。
私が以前に出版した本をご覧になった方から、
「白い巨塔のようなことが実際にあるんですね!」
というご感想をいただいたことがあります。
患者の立場で大学病院をはじめ医療について
ありのままを綴ったのですが、
今日のドラマも現代版ではありますが、
大学病院の様子がよくわかるドラマだと感じました。
とはいえ、大学病院によってもそれぞれだと思いますが、
今では、患者に寄り添う医療について努力なさっている
大学病院が多いのでは…と感じています。
今日の第1話では、
・カンファレンスの様子
・患者とのコミュニケーション
について描かれていたことに関し綴ります。
今日の全体からは、「患者置き去りの医療」を感じました。
ひな壇になっている会議室でのシーン。
カンファレンスといって、医療者が患者さんの治療について
報告したり、相談したり話し合うのですが、
どこの大学病院でも、診療科ごとに行っているシーンだと
思います。(総合内科・呼吸器内科・消化器内科・循環器内科など)
ここで疑問!
患者の立場である私が、以前から感じていることなのですが、
ドラマでもあったように、
この場で治療方針が決められます。(と感じます)
なのに、この大事なカンファレンスには患者が存在しません。
今日の場面では、
脳出血の後遺症で、口から食事が摂れない患者さんに、
直接栄養を胃に送るチューブをつける「胃ろう造設手術」について
方針がカンファレンスで決定されるシーンでした。
ドラマでは、話し合いというより「当然この方法」と決めつけての
報告会のような流れでしたが、
この場に患者が存在しないことが、とても違和感を感じます。
実際に患者がカンファレンスに登場し、
大変なのはわかります。
患者さんでも、「医学的なこと言われてもわからないし…」
と、おっしゃる方もいると思います。
でも、自分の命についての方向性が決められるわけです。
ドラマの中でも水川あさみさん演じる女医さんが、
「医者に判断を丸投げした時点で患者の負け」
そう言っていました。
同じく手術の同意書にサインする家族が、
「この方法しかないのでしょうか」
というシーンがありましたが、
「ありません」
という医師の言葉に納得できない様子もありながら
サインしました。
「納得できないのにサインした患者がバカ」
というセリフ。
言葉は適切でないにせよ、
ニュアンスとしてはそういうことになってしまいます。
今日登場した患者の多田さん。
主治医(剛くんの指導医)とはコミュニケーションをとらないのに、
剛くん演じる研修医とはコミュニケーションをとった。
これは、そもそも医師である主治医が
コミュニケーションの必要性を感じていないため多田さんと
コミュニケーションをとっていない状況。
だから、患者さんもコミュニケーションはとれないので、
とらなくなるという現象。
そして、剛くんは、コミュニケーションはもちろん、
「患者さんにとって何がよいのか…」
という患者さんへの想いが伝わり、さらに良好な関係に。
そして、
患者の多田さんは、誤嚥による肺炎のリスクを承知のうえで
剛くん演じる紺野医師の飲食テストを行って、
口から食べることができるということが確認され、
今後は流動食から食事がスタートするのだと思います。
リスクを承知で挑戦したのは、
患者の多田さんご夫婦が、
紺野医師とコミュニケーションがとれ、信頼していたから。
紺野先生を信じることができ、そこから、
自分の可能性を感じることができたからだと思います。
「この先生なら・・・」
そう感じることができる医療が
日本中に広がる未来を期待します。
そして、そのためには、
患者自身が努力することが重要です。
「自分の想いを医療者に伝える」
「わからないなら、わかるまで聴く」
「納得いかないなら、納得いくまで聴く」
「それでも納得できないなら、主治医を変えてもらう」
「それでも納得できないなら、医療機関を変える」
納得いく医療を選択する権利が患者にはあります。
だって、自分の命についてのことなんです。
最後まで諦めずに、医療者とコミュニケーションをとり、
納得のいく医療をうけることが大切だと
あらためて感じた第1話でした。
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