子どもの頃からタロットで遊んできた。

 

「〇〇について知りたい」

と、質問を明確にしてからシャッフル。

出てきたカードの絵柄を見ては、

一喜一憂していた。

 

で、大人になってからも、

またタロットを触るようになったが、

今日、ふと気づいたことがあった。

 

最終結果にいいものが出たのに、

また同じことを問うためにシャッフル。

(依存症か?)

でも、何度目かに、ネガティブな

最終結果がでて、初めて安心して

カードを片付けている自分がいた。

 

ふつうは、逆だと思う。

嫌な結果が出たら、

いいものが出るまで占いをするのでは?

なのに、ネガティブが出るまでやるとは・・・。

これはいったい、どういうことなのか。

 

タロットカードを片付けたあとに、

今度はノートを広げて、

自分の内面を掘り下げてみたら、

「大きな幸せを受けるのが怖い」という

深層意識があることをつきとめた。

 

一旦手にした幸せが、

これまた何かのきっかけで失った場合の、

ショックが嫌でしょうがないようだ。

 

失うくらいなら、最初から無いほうがいい。
 
たとえるなら、「離婚が怖いから
結婚をしない」というような理屈になる。
(結婚してるけどさ)
 
思えば、私の過去半生は、
「損失が嫌だから冒険しない」という
選択の連続であった。
 
確かに、安全運転で、ここまで来た。
 
アラフィフになって、ふと思う。
このままこれでゴールして、後悔しないかな、
ということを、モヤモヤと考えてしまっている。
 
逃がした魚は数知れなかったのではないか、
さらに、これからも大漁にとれるものを
自ら拒否しているのではないか。
 
私はずっと卑下してきて、自分に来るものは
たいてい悪いものが当然であると考え、
それが自分にふさわしいと受け取ってきた。
逆にいいものが来たときは、
それは自分には恐れ多いものだからと
手を出そうとはしなかった。
 
つまり、自分でジャッジして、
わざわざ悪い方を手にしてきたわけで。
 
そんなつまらない自分勝手なジャッジを
これからもし続けていくのは、
天に失礼なのかもしれない。
 
天から与えられたものは、どんなものも、
(私が善悪を決めることなく)
ちゃんと受け取るべきなのではないのか。
 
・・・などと、つらつら、考えた。
 
結論が出ず、寝る。