将来の夢とか、なりたい職業、
やりたいこと、叶えたいこと。
自分の個性や性格に合うもの、適性など。
そんなの、ぜんぜんわから~ん。
他の教科に比べたら、
語学がまだできる方だったから、
じゃあ、大学では英語しかないな、と漠然と考え、
受験して合格したのがドイツ語学科だった。
4年間、なんでやってるのかわからないまま、
ドイツ語をやり、ドイツ留学し、卒業した。
で、すっかり、ドイツ語から遠ざかってたが、
昨今、当時のことをふと思い出し、
またドイツ語の勉強を3ヶ月続けてみた。
でも、これでいいんだろうか?
本当にやりたかったことなのか?
と、また、自問しはじめた。
「ドイツ語なんて、もうやらなくてもいいよ」
って、誰かに言われたら、
すぐやめる部類ではないのか。
じゃあ反対に、「やるな」と言われても
ついついやってしまうものはなんだろう。
それが本当にやりたいことなんじゃないか?
つらつら考えてみるに、「将来の夢は?」
と聞かれたときに、無意識にも、
「お金が稼げるもの」「至極まっとうなこと」
「人に言っても恥ずかしくないもの」
「人類にとって何らかの価値があるもの」
などという条件を加味していたような気がする。
でも、神さま目線から見たら、
人間のやることって、すべて、
そんなに大したこと、ないんじゃないか。
人間のやること、やりたいこと、すべてが、
実はしょーもない、どーでもいいことだとしたら、
ちっぽけな私が何を選んで行動したって、
別に構わないではないか。
すべてのことをフラットに見て、
「まあ、どれも意味のないことだけど、
これは今、やりたいな。やっておきたいな。
やらずにはいられないな」
というものを選ぶ、
という方法でもいいんじゃないか?
今までの選択の仕方は、
いわば、大人的な薄汚れた考え方であった。
もっと子どものような気持ちで、選ぶとしたら・・・。
ドイツ語は、別に、やめてもいいかもな。
やっぱり、自分の好きな本が読みたい。
ブログとかノートとかに、文章を書きたい。
いっぱいネットでゲームしたい。
なるほど。損得無しで考えれば、
やりたいことは、すぐ浮かんでくるんだな。
でもって、それについて、自分自身で、
「くだらないことを選ぶんじゃない」って
ジャッジしなければ、それでいいんだ。
知らんかったわ。
とっても、シンプルだった。
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好きなことをやるために、生まれてきた。
