この記事は、スピリチュアルかぶれの、
単なる主婦の勝手な思いつきなので、
笑って読み流してください。
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ガンダム・オリジンのマンガを読んで、
どうしてこんなに惹かれるのかを考え、
分析してみた結果、ガンダムは
神話になりうる要素を持っているのだと気づいた。
あの物語を誰かの見た夢イメージとしてとらえて、
全体を俯瞰したときに、
精神世界を旅する、
あの有名な十牛図に通じるものがあると思う。
主人公の少年(アムロ)が、自分探しの旅に出る。
(体験する順番は別としても)
自分の殻(自室)から抜け出して集団行動を始め、
その中で自分の思い通りに動けないことに苛立ち、
集団(ホワイトベース)から一人飛び出して、
両親からの独立(精神的に決別)とか、
理想の女性(マチルダ)に出会ったり、
理想の男性(ランバ・ラル)に会ったり、
ライバル(シャア)に出会ったりする。
一番の圧巻が、自分の中の無意識にある、
女性性(アニマとしてのララア)と出会うところ。
その、男性社会の閉塞感に生きるララアを、
(物語では肉体を壊すことで)宇宙へ解放する。
主人公は、長い長い自分探しの果てに、
無意識(の存在となったララア)と
いつでもつながることが出来るようになり(悟りを開き)、
最後まで乗っていた、ガンダムという
我が身の殻まで捨て去った(断捨離)状態で、
もとの仲間たちのところへ帰還する。
アムロがニュータイプである、という設定にも、
かなりの含みというか、深みを感じる。
なぜシャアがニュータイプではないのかというと、
まだそこまでの段階じゃないから。
シャアこそが、まだ「ぼうやだから」なのだ。
シャアがやってきたのは、出世と復讐。
自分を支配するものへの反抗と破壊。
でも、そこで止まってしまった。
ニュータイプは、さらに、先へ進む。
共感と、非暴力と、直観を得る。
これからの時代、というか、平成の頃から、
すでに、ニュータイプの時代は来ている。
シャアのところで終わってしまうか、
アムロのところまで行くか。
二極化の時代って、そういうことなんだろうと思う。
・・・などと、勝手に解釈しちゃったぴょん。
見た人がそれぞれ独自に、
色々解釈ができるのは、名作の証だよね。
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「敵」レッテルを剥がし、武装解除すれば、楽に生きられる。
