「教誨師」を読了した。

 

 

独房で過ごす死刑囚に、自由に会える民間人の

教誨師は、主に宗教を述べ伝える仕事をしている。

 

仏教、キリスト教、さまざまな宗派の中から、

死刑囚は教誨師を指定できるらしい。

 

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この本で勉強になったこと。

 

1. たった一言で、人は人を傷つけたり、

癒やしたり、励ましたりできる。言葉の重みを学ぶ。

 

2. 罪をおかすかおかさないかは、紙一重。

「あんなやつ、死刑になればいい」とか

「本人が悪いことをしたんだから、しょうがない」なんて、

もう軽々しく言えなくなった。

 

3. 「絞首刑」をいまだにしているのは、

先進国では日本だけ。

裁く人と執行する人の精神的負担は、雲泥の差。

 

4. 死刑制度は、誰も幸せにしない。

 

5. 説くことよりも、「聴く」ことが大切。

 

6.「空(くう)」の大切さ。

 

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一番びっくりしたのは、仏教の教誨師の言葉で、

「われわれの言う救いというのは、

心の救いであって、命が助かるという意味じゃない。

阿弥陀様に抱かれていく救いということですから」

などという趣旨のものが書かれていたとき。

 

「命の救いではなく、心の救い」

イコール「阿弥陀様に抱かれる」ということ。

 

ということは、「浄土」というのは、

「死後、天国とか極楽へ行くこと」ではなくて、

「存命中に、心が救われてる状態」を指すのではないか、

ということに気づいた。

 

また、最近、断捨離のTV番組を見ているのだが、

やましたひでこさんが、「空間を作らないと」と、

片付けに悩む相談者に説明しているシーンを見て、

「空(くう)」とは「空間」であり、

心に空間(余裕)があること=浄土、なのではないか、

と、気付かされた。

 

つまり、心の空間(=浄土)をつくるためには、

心のゴミを捨てること、整理整頓すること。

 

そして、傾聴は、相手の心に余裕をつくるんだ。

 

私は今後、家族の話をきちんと聞こう、と、思った。

心のゴミを吸い出す掃除機のような人になりたい。

 

部屋も心も、お掃除しよう。きれいに、さっぱりと。