これまでは、謙虚というものを

徹底的に卑下することに近いものだと

思い込んでいた。

 

けれど、やっと、

そうではないことに気づいた。

 

謙虚とは、

等身大の自分でいること。

 

肩書や、氏育ち、毀誉褒貶、年齢、

その他、どんな状態であろうと、

どんなものを持っていようと、

まったく関係なく、

「自分も他者も、同一線上にいる」

と捉えて、言動に気をつけることなんだ。

 

たとえ自分が王様や社長であったとしても、

その肩書によって偉ぶったり、

浮ついたりしない。

 

眼の前にいる人が、

自分の部下だろうと、子どもだろうと、

自分よりも下に見ない。

 

いつ下剋上があっても、

同じ態度でいられるようにしておく。

 

それが、謙虚、ということなんだ、

と、思うようになった。

 

必要以上に偉ぶったり、

必要以上に縮こまったりしないで、

自分らしい大きさでいようと思う。

 

*****

 

パートして周囲を見ていると、社員さんたちが、

子会社に出向したり、そこから戻ってきたりする。

あるいは、定年退職して、子会社に再就職したり。

 

そのときに、肩書がコロコロと変わるのを見る。

 

居場所が違うだけで、相手への電話対応が、

「お疲れ様です」が「お世話になっております」

になる。

 

それって、どういうことなんだろう、と考えて、

「ああ、肩書というのは、

 社会における便宜上のものなんだなあ」

ということに気づいた。

 

肩書がなければ、

その人は、ただのおっさんであり、

私は、ただのおばさんであるということ。

 

本来なら、みんな同列であるのに、

「子会社の人だ」とか「取締役だ」とか

「新入社員だ」とか「パートタイマーだ」とか

てんでに役割分担して、回しているだけだ。

 

そういう決まりごとを

内心馬鹿らしいなあとは思いつつ、

大人の対応で「ごっこ」に付き合うことが、

”礼儀”なのかもしれない。

 

それにしても、

肩書に溺れる人の、なんと多いことか。

 

ちょっと上の役割をもらったがために、

自分のアイデンティティだと勘違いして、

もっと任期を伸ばしたがるのは、

「ごっこ」であることを忘れてしまっている

阿呆だよな、とか、思ったりもする。

 

そういう勘違いな人が出てこないように、

任期が○年位だよと予め決まっていたのだ。

そう取り決めていた昔の人は、偉いねぇ。

 

私も、気をつけようと、肝に銘じておく。

肩書をつけられても取られても、

まったく変化のない自分でありたい。

 

「お姫様ごっこしようよ」「えー?また~?」