これまでは、謙虚というものを
徹底的に卑下することに近いものだと
思い込んでいた。
けれど、やっと、
そうではないことに気づいた。
謙虚とは、
等身大の自分でいること。
肩書や、氏育ち、毀誉褒貶、年齢、
その他、どんな状態であろうと、
どんなものを持っていようと、
まったく関係なく、
「自分も他者も、同一線上にいる」
と捉えて、言動に気をつけることなんだ。
たとえ自分が王様や社長であったとしても、
その肩書によって偉ぶったり、
浮ついたりしない。
眼の前にいる人が、
自分の部下だろうと、子どもだろうと、
自分よりも下に見ない。
いつ下剋上があっても、
同じ態度でいられるようにしておく。
それが、謙虚、ということなんだ、
と、思うようになった。
必要以上に偉ぶったり、
必要以上に縮こまったりしないで、
自分らしい大きさでいようと思う。
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パートして周囲を見ていると、社員さんたちが、
子会社に出向したり、そこから戻ってきたりする。
あるいは、定年退職して、子会社に再就職したり。
そのときに、肩書がコロコロと変わるのを見る。
居場所が違うだけで、相手への電話対応が、
「お疲れ様です」が「お世話になっております」
になる。
それって、どういうことなんだろう、と考えて、
「ああ、肩書というのは、
社会における便宜上のものなんだなあ」
ということに気づいた。
肩書がなければ、
その人は、ただのおっさんであり、
私は、ただのおばさんであるということ。
本来なら、みんな同列であるのに、
「子会社の人だ」とか「取締役だ」とか
「新入社員だ」とか「パートタイマーだ」とか
てんでに役割分担して、回しているだけだ。
そういう決まりごとを
内心馬鹿らしいなあとは思いつつ、
大人の対応で「ごっこ」に付き合うことが、
”礼儀”なのかもしれない。
それにしても、
肩書に溺れる人の、なんと多いことか。
ちょっと上の役割をもらったがために、
自分のアイデンティティだと勘違いして、
もっと任期を伸ばしたがるのは、
「ごっこ」であることを忘れてしまっている
阿呆だよな、とか、思ったりもする。
そういう勘違いな人が出てこないように、
任期が○年位だよと予め決まっていたのだ。
そう取り決めていた昔の人は、偉いねぇ。
私も、気をつけようと、肝に銘じておく。
肩書をつけられても取られても、
まったく変化のない自分でありたい。
↑
「お姫様ごっこしようよ」「えー?また~?」
