いつの頃からか、学問の分野は、
文系と理系がわかれている。
けれど、それは、単に
勉強する時の方向性の話であって、
相手の系とは仲良くなれない、
理解できない、バカにして良い、
という話ではない。
なぜ勉強するかと言えば、
社会を良くする人間になるため(貢献)や
周りと強調する人間になるため(仲間意識)
なのではないか。
だとしたら、文系とか理系とかで線引し、
相手と仲良くしないというのは、
お互いにとってデメリットでしか無い。
よくよく考えてみれば、
英語や国語は文系だけれども、
言葉の文法には法則があり、
理系的な論理感覚も必要だ。
また、数学や天文学などは理系だが、
そこに美しさやロマンを見出したとき、
それは文系の話になってくる。
文系と理系を厳密に分けてしまうというのは、
人間の心と体を分離してしまうようなもので、
どちらか一方だけでは生活できないし
潤いもなくなってしまうと思う。
すべての人が互いに得意分野を発揮し、
苦手だという相手のサポートが出来たら、
この世界はもっともっと良くなるはず。
そんな社会が実現するためには、
自分と相手の境界を取っ払って、
理解しあうこと、尊重し合うこと、
補い合うこと、寄与し合うことが
大事なのではないだろうか。
21世紀の私たちには、もはや、
敵対すること、差別すること、搾取、
不寛容などは、必要がないのだ。
すべての学びは、自分を幸せにし、
社会を幸せにするためにある。
死ぬまで己を磨き、役に立つことをしよう。
(・・・ということが、最近わかってきたぞい。)
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作曲や演奏できる人ってすごい。私は感想文を書くよ。