先週、たまたまテレビをつけたら、
「テストの花道」をやっていた。
テレビの実験では、
単に板書するだけだと、
脳みそが活性化されていなかった。
私が学生の頃は授業中、
ずっと板書ばかりしていて、
家に帰って復習しようとノートを開いても、
チンプンカンプンだった。
その理由がやっと明らかになったわけで。
「黒板に書いてあるものを
そのままノートに写すだけではダメ」ということを、
もっと早く知っていればなあ、と思った。
先生の話をよく聞いて、
黒板に書かれていないことを
ノートの余白にメモっていくことが大切らしい。
では、現在の私が読書するときに、
気に入った箇所を
ノートに抜書きしているけれど、
これも、あまり脳が
活性化されていないんだろうか?
無意味なことなのだろうか?
でも、内容を無理解のまま、
書写しているのではなく、
読書していて「ここは重要だ!」
と自分で判断したところを
ノートに改めて写しているんだから、
多少は脳みそが
動いてはいるだろう(と、思いたい)。
「お手本を写す」つながりで、
写経を思い出した。
お経の意味がどうとかを考えないで
ただ文字を見て、
写経をしていた以前の私。
が、何度も写経したからって
般若心経を暗記することはできなかった。
漫然と写すだけでは、
脳は活性化されないのだろう。
音読しながら写経したら、
まだ少しはましだったかもしれぬ。
それとも、そもそも写経というものは、
日々の雑事で疲れている脳みそを
休ませるための効果を
狙っているのかも。(違うかな?)
音読で思い出したが、
亡くなった私の祖母は、
新聞や本を読むときは
いつも小さい声でポソポソと音読していた。
そのせいかどうかはわからないが、
最期までぼけることもなく、
寿命で往生したのだった。
見る、(相手や自分の声を)聞く、書く、
という行為は、どれか一つだけでは
脳が活性化しないのかもしれない。
脳トレの意味もこめて、
本を読むときや、
ノートを書くときは、
意識して声も出してみようかなあ・・・。
(怪しい人に間違われそうだが、
ぼけるよりはマシだよね)