近頃の教育はどうなっているんだ、

などと、内心で、

ブツブツ文句を言っていた私。


けれど、その言葉を自分に置き換える。


私はちゃんと、わが子を見ているか?

やらなければならないことを、

怠っているのではないか?と。


しばらくすると、

こんなイメージが頭に浮かんだ。


若木があちこちから

柔らかい芽を伸ばし始めているのに、

「ここから出すんじゃない」などと

片っ端から摘み取っている映像。


猛烈なショックを受けた。


ああ、これ、やってるなあ、私。

次女の若芽を摘んでばかりいる。


次女は、ネガティブなものの見方ばかりするので、

「そうじゃないよ、こういうときは、

 こんな風にポジティブに考えるものだよ」

などと、ポジティブを押し付けてた。


ネガティブとポジティブ、

どっちがいいかといったら、

私が考えるところによれば

ポジティブな方が健康的で幸せで、良いとは思う。


ただ、そのやり方に問題があって、

良かれと思うものを一方的に押し売りして、

しかも、

「あなたの提出するものはどれも不良品だよ」

などという言い方をしたら、

やっぱり相手にとってはつらいことだろう。


せっかく出したものに全部ダメ出しされたら、

アウトプットする勇気がなくなってしまう。

若芽がでなくなってしまうではないか。


もう少し、のびのびとさせてあげよう。


まずは大いに葉っぱを出してもらおう。


最初は、ネガティブな葉っぱでもいい。


まずは、出す、ということに、

自信を持ってもらうのが先だと思う。


品質について考えるのは、

もっと後でもいいことかもしれない。


それにしても、人・・・、否、私は、

相手に合わせてしまう気質があり、

ネガティブを出されると

こっちもネガティブを出したくなる。

(売り言葉に買い言葉)


相手がどんなにネガティブなものをよこしてきても、

こちらはポジで返していく態度をとるのは、

かなり苦痛なこと。


でも、それが、私の修行になるのではないか。


次女は、自分を出して自信をつける修行。

私は、常にポジを出していく修行。


** ** **


んんん・・・まてよ、

私がそうやって

自分のポジを出そうとこだわっているからこそ、

相手についても

ポジだのネガだのと言っているのでは?


ありのまま(ポジとかネガとか判定しない)で、

自他ともに認めあっていくことが

大事なのではないか?


ネガティブを受け止めよう、などというより、

ポジとかネガとか、

分けて考えるのをやめたらどうか。


次女って、私って、ポジ?ネガ?

はー、そんなの関係ねぇ~、そんなの関係ねぇ~、

はい、オッパッピー!(古い)