昨夜、寝る直前に、ある翻訳本を読んだら、
アファメーションが載っていた。
「私の中は、キリストで満たされている」と。
ちょっと見て、なんだかよさそうな言葉だったので、
頭の中で反芻しながら寝てみた。
しかし、嫌な印象の夢(内容は忘れた)を見てしまい、
真夜中に目が覚めてしまった。ううう。
だいたい西洋人でない私が、
無意識下に働きかけても、
「キリストに満たされる」という表現で
はいそうですか、と、納得するわけがないのだろう。
そもそも、キリストって、何なのさ~?
素直ではない私は、アファメーションですら、
自分なりに論理的に解釈しなくては次に進めない。
イエスというのは、人間の名前である。
有名なのは、ナザレのイエスだ。
で、キリストというのは、
役柄とか職業みたいなものではないか?
つまり、イエス・キリスト、というのは、
両津・警察官、みたいな感じだろう。
こういうイメージは、強くセットになりがちなので、
たとえば「警察官になりたい」と思っていると、
無意識に「亀有公園前の両津さん」イメージまでついてきて、
「プラモ好きな警察官」とか
「上司に常に叱られる警察官」を目指しちゃったりする。
同様に、「キリストになりたい」なんて考えると、
知らず知らず、イエスという人の逸話がまじりあって、
「水の上を歩く人になりたい」とか
「弟子をたくさん作りたい」とか
「水をワインに変化させたい」とか
「病気を手かざしで治せる人になりたい」とか
めちゃくちゃなイメージがついてきて困るんだ。
よけいなイメージを切り離した
「警察官」とか「キリスト」という役柄そのものは、
「他者のために、自分の職務を尽くす人」
ではないだろうか。
だったら、「キリストで満たされる」という
意味の良く分からないアファメーションより、
「私は、与えられた私の仕事をきっちりやります」
というアファメーションの方が、
むしろ、より「キリスト」に近いような気がする。
うん、きっと、そうだろう。(←強引な結論)
他人から与えられたアファメーションより、
自分で納得できるアファメーションが、
一番効くのではないかと思う。
また効くからこそ、変なアファメーションは
くれぐれも唱えないようにしよっと。