以前は、人と話をしたあと、
「あんなこと言って、大丈夫だったかな」
「どんな風に言えばよかったのかな」
「なんであんなこと言っちゃったんだろ」
などと、とにかく、自分の発言を反芻しては、
どんどん落ち込んでいくことがあった。
それが、最近では、
自分の発言や行動に対して、
ことさらダメ出しをすることがなくなった。
それよりも、相手が快適な様子であるか、
という方に意識が向くようになった。
相手のあらを探すのではなく、
相手の言葉の裏を勘ぐることもなく、
ただ相手のありのままを受け止めようとしている。
以前と今の違いを考えてみると、
昔は、人からどう見られているかが
気になってしょうがなかったんだと思う。
最近は、人からどう見えるか
(=私は善人に見えるか?)は、
まったく気にならなくなった。
(だって、どう思うかは、その人の領域だから、
ムリして取り繕ってもしょうがないじゃん?)
スピとか宗教の本で、
「自分のことを忘れて、相手に尽くしなさい」
などと書いてあるのを見た。
それを「自分の欲を忘れなくちゃ!」
などと、否定的にとらえていたことで、
やはり、自分第一主義に陥っていた。
そもそも「忘れる」というのは、
意識してすることはできないものなのに。
今の私がそうであるように、
相手とずいぶん楽しくしゃべって帰宅した後、
「アー今日は楽しかった。
・・・ん?そういえば、
自分がどう見られているかを気にすることを
すっかり忘れてたなあ・・・ま、いいか。」
とあとから気づくような感じが、
本当に”忘れている”状態なんだ。
自分をまるごと認められるようになったおかげで、
意識過剰だった面がかなり薄まった。
ありがたいことだ。
自分を忘れる、というのは、
自らをぞんざいに扱うという意味ではない。
むしろ、自己信頼という強力な後ろ盾があるから、
気にせず、安心していられる感覚なんだな。
もっと言い方を変えると、以前は、
人に嫌われたくない、
人に馬鹿にされたくない、
加害者と呼ばれたくない、
といった、
自己保身の視点でものを考えてた。
そのベクトルが、変化して、
人を嫌いたくない、
人を馬鹿にしたくない、
人を大切にしたい、
という、相手尊重という視点になった。
そして、そういう考え方にシフトした自分を、
ますます好きになっているのであった。